高士神社
高士神社 | |
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所在地 | 台湾屏東県牡丹郷高士村(旧高雄州恒春郡蕃地クスクス社) |
位置 | 北緯22度7分21.1秒 東経120度50分20.2秒 / 北緯22.122528度 東経120.838944度座標: 北緯22度7分21.1秒 東経120度50分20.2秒 / 北緯22.122528度 東経120.838944度 |
主祭神 | 天照皇大神→ 髙士佛戦沒之霊神 |
社格等 | 社祠 |
創建 | 1939年(昭和14年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 5月5日 |
地図 |
高士神社(クスクスじんじゃ)は、台湾屏東県牡丹郷にある神社である。旧社格は社祠。
祭神
[編集]日本統治時代は天照皇大神としていたが、現在は髙士佛戦沒之霊神を祭神とする。
歴史
[編集]1939年(昭和14年)、高雄州恒春郡蕃地(現在の屏東県牡丹郷)にクスクス祠として鎮座された。台湾で著名な開山神社は鄭成功を祀る廟宇を改良したものだが、高士神社は当初から神社として鎮座していた。また台湾では比較的新しい神社は北白川宮能久親王を祀ることが多かったが、古い神社である当社は天照大神を祀っていたと伝わっている。ただし、地方の山間部にある神社でもあり、原住民独自の信仰と習合し信仰されたため、やがて御祭神が何かであるかは気にされなくなったともされている[1]。大戦中に村から日本兵として出征したものが、「生きて帰ってこれなかったらこの神社で会おう」と約束を交わすなど靖国神社的な性格が見られた[2]。
戦後、廃社となり、社殿が取り壊された。2015年(平成27年)、住民からの要望を受け、日台親善を進める日本李登輝友の会の会員でもある神職の佐藤健一により再興[2]。再興に際しては李登輝からもお祝いの文書が届けられ、複数の台湾メディアでも取り上げられた[3][4][5]。
2016年には日本人の寄付により鳥居が奉納された[6]。台湾では観光目的などで鳥居などの神社建築が再建された例はあるが、神職と氏子が奉祀する宗教施設としての再建は戦後最初の事例とみられている[2]。2018年におこなわれた例祭では、台湾人としては初の神職が祭事を執り行った[7]。
関連項目
[編集]ウィキメディア・コモンズには、高士神社に関するカテゴリがあります。
脚注
[編集]- ^ 台湾 復興第一之宮 髙士神社公式ブログ-御由緒
- ^ a b c “台湾の小さな「靖国」再建 日本人神職、住民の熱望応え 「ここで会おう」誓い出征 11、12日に神事”. 産経新聞. (2015年8月10日)
- ^ “日本統治時代の神社、日本人の尽力で再建 李登輝氏もお祝い”. 台湾: フォーカス台湾. (2015年8月12日). オリジナルの2015年8月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “祖靈祈福加日本儀式 高士佛神社揭幕”. 台湾: 自由時報. (2015年8月11日)
- ^ 日人出資重建 屏東高士神社重生 20150811(公視晚間〜) - YouTube
- ^ “日人捐贈屏東高士神社大鳥居 5/7豎立” (台湾語). 自由時報. (2016年4月12日) 2019年3月21日閲覧。
- ^ “初の台湾人神職が例祭 南部の高士神社”. 共同通信社. (2018年5月5日) 2019年3月21日閲覧。