高橋久子
高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 2013年12月21日)は、福岡県北九州市出身の労働省官僚。最高裁判所判事。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章受章。
概要
[編集]門司高等女学校卒業後に東京大学経済学部に進学。卒業後の1953年に労働省入省。内閣審議官、労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官。
婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後、1994年2月9日に女性としては初めて最高裁判所判事に任命される。当時の内閣は3人の女性閣僚がいた細川内閣であり、細川護煕は「大きなプレゼント」とコメントした[1]。
1997年9月20日 最高裁判事を定年退官。2013年12月21日、86歳で死去[3]。叙従三位。
最高裁判所での主な裁判
[編集]- 1995年 - ロッキード事件、1993年衆議院選挙における議員定数訴訟(裁判長)
- 1995年 - 婚外子相続差別訴訟
- 1996年 - 沖縄代理署名訴訟
- 1997年 - 愛媛県靖国神社玉串料訴訟
脚注
[編集]- ^ 「最高裁人事で女性重視PR リーダー懇で細川首相」『読売新聞』1994年1月14日朝刊
- ^ 「2000年春の叙勲、受章者総数は4607人」『読売新聞』2000年4月29日朝刊
- ^ “女性初の最高裁判事が死去 高橋久子氏”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年12月24日). オリジナルの2013年12月25日時点におけるアーカイブ。 2018年9月9日閲覧。