高橋多賀二
高橋 多賀二(たかはし たがし[1]、1889年(明治22年)1月1日[2] - 1964年(昭和39年)2月17日[2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]岡山県出身[1][2]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第39連隊付となる[3][4]。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業した[1][2][5]。
1934年(昭和9年)8月、陸軍歩兵学校教官に就任し、1935年(昭和10年)3月、歩兵大佐に昇進[1]。同年8月、歩兵第76連隊長に就任[1]。1937年(昭和12年)8月、第2師団参謀長に異動[1]。1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し歩兵第40旅団長に発令され日中戦争に出征[1][2]。1940年(昭和15年)8月、樺太混成旅団に転じた[1][2]。
1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進んだ[1][2]。同年12月、第3師団長に親補され中国戦線に出征[1][2]。江南殲滅作戦、常徳殲滅作戦などに参戦した[2]。1943年(昭和18年)3月、参謀本部付となり、同年5月、予備役に編入された[1][2]。1944年(昭和19年)4月、召集を受け留守第30師団長に任じられた[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』277-278頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸軍将官辞典』425-426頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、277-278頁。
- ^ 『官報』第8256号、明治43年12月27日。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、574頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
- ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
- ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
- ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1939年11月17日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。