高照容

高 照容(こう しょうよう、? - 496年)は、北魏孝文帝の貴人(側室)。宣武帝の生母で、皇后として追尊された。高肇の妹、宣武帝の皇后高英のおばにあたる。

経歴

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高句麗高颺と蓋氏のあいだに生まれた。13歳のとき、一家とともに北魏に移住すべく西に向かった。龍城鎮に到着すると、鎮の官吏が照容の美質を報告し、後宮に入れるべきむね上表した。照容が平城に到着すると、文明太后が北部曹におもむき、照容の姿を見て後宮に入れさせた。483年太和7年)閏四月に元恪(宣武帝)を、488年(太和12年)に元懐(広平王)を、489年(太和13年)に元瑛(長楽公主)を生んだ。496年(太和20年)、照容は平城から洛陽に移る途中、汲郡の共県で突然死した。一説に馮昭儀が派遣した人物に殺害されたという。は文昭貴人といった。499年(太和23年)、宣武帝が即位すると、文昭皇后の諡号が贈られて追尊された。

伝記資料

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  • 魏書』巻13 列伝第1
  • 北史』巻13 列伝第1
  • 魏文昭皇太后山陵誌銘(高照容墓誌)