鶏林

慶州 鶏林
경주 계림
(Gyerim Forest, Gyeongju)
大韓民国指定史跡第19号
(1963年1月21日指定)
種類史跡(伝承地)
所在地大韓民国の旗 韓国
慶尚北道 慶州市校洞1
座標北緯35度49分58秒 東経129度13分08秒 / 北緯35.83278度 東経129.21889度 / 35.83278; 129.21889座標: 北緯35度49分58秒 東経129度13分08秒 / 北緯35.83278度 東経129.21889度 / 35.83278; 129.21889
面積23,023m2
建設新羅時代脱解王
管理者慶州市
所有者慶州市ほか
ウェブサイト국가문화유산포털
ユネスコ世界遺産
所属慶州歴史地域
登録区分文化遺産: (2), (3)
参照976
登録2000年(第24回委員会)
鶏林の位置(大韓民国内)
鶏林
大韓民国における慶州 鶏林
경주 계림
(Gyerim Forest, Gyeongju)の位置

鶏林(けいりん、ハングル계림〈ケリム〉)は、韓国慶尚北道慶州市校洞(ハングル교동〈キョドン〉)に位置する新羅時代の伝説の林である。1963年1月21日、大韓民国指定史跡第19号に指定された[1]。2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル경주역사유적지구)の月城地区に位置する[2][3]

「鶏林(鷄林)[4]」の呼称は、が鳴いたことで慶州金氏の始祖となる金閼智(きんあっち[5]〈キムアルチ[6][7]〉)を得たことによるとされ、新羅を指す国号にも使われた[8][9]。この新羅の建国時代からの林として、面積2万3023平方メートルが史跡に指定され[1]、今日、ヤナギケヤキ高木が繁茂している[10]

鶏林の西側には、第17代奈勿(なもつ〈ネムル〉、在位356-402年)の陵とされる奈勿王陵があり[11]、さらに鶏林より北西方向には、金氏初代新羅王の陵といわれる味鄒王陵朝鮮語版が位置する[4]

歴史と伝承

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「金櫃図」趙涑朝鮮語版、1636年(国立中央博物館
慶州金氏の始祖、金閼智の出生説話を描く[12]
鶏林碑閣
金閼智生誕の碑を祀る。

慶州金氏の始祖である金閼智の出生譚により知られる鶏林は、もともと始林(シリム)と称されていたとされる[13]。『三国史記』によれば[注 1]脱解尼師今9年(西暦65年)春3月のある夜、王が金城の西の始林で鶏の鳴く声を聞き、夜明けに瓠公(ここう〈ホゴン〉)を向かわせると、金色の小箱(櫝〈〉)が木の枝に掛かり、その下で白い鶏が鳴いていたと王に報告した。その箱を取りに行かせて開けると中に小さな男児がいた。王は大変喜び、天から授かった子として養い、大きくなり聡明で機知に富むようになると閼智と名づけ、金の箱から出現したことから姓を金氏とした。そして始林を鶏林に改名して国号としたという[14][15]

三国遺事』においては[注 2]永平3年(西暦60年)庚申8月4日、瓠公が夜に月城の西の里に行くと、始林(鳩林とも)に大きな光を見た。紫色の雲が天から地へと垂れ込め、雲の中には金色の箱(櫝)があり、その木の枝に掛かった箱から光が出て、木の下で白い雉(キジ)が鳴いていた。これを王に報告すると、王は始林に出向いた。そして箱を開けると中に臥していた男の子がすぐに立ち上がった。それが新羅始祖の赫居世(かくきょせい 〈ヒョッコセ〉、在位前57-後4年)誕生の故事[注 3]と同じようであったことから、赫居世が生誕の際に初めて称したとされる言葉にちなんで[注 4]閼智と名づけた[注 5]。王は小児を抱いて王宮に帰り、鳥や獣がそれにつき従い喜び踊っていた。王は吉日を選んで閼智を太子としたが、後にその位を婆娑(ばさ〈パサ〉、在位80-122年)に譲り、王位につかなかった。そして金の箱から出てきたことにちなんで姓を金氏としたと記される[20]

その後、金閼智の第7代(7世孫)味鄒(みすう〈ミチュ〉、在位262-284年)が、金氏で初めて第13代新羅王となり[13]、後には王位に就く三姓()のうち[21]、金氏が主に新羅王を継承していった[22]。金氏の始祖降臨の聖地とされる鶏林には、閼智の生誕を記念する石碑が、李朝純祖3年(1803年)に建立され[11]、今日、鶏林碑閣に祀られている[23]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『三国史記』新羅本紀第1 脱解尼師今9年条
  2. ^ 『三国遺事』紀異第1 金閼智脱解王代条
  3. ^ 『三国遺事』紀異第1 新羅始祖 赫居世王
  4. ^ 赫居世が自らを閼智居西干と称して立ち上がったとされる[16][17]
  5. ^ 卵より生まれた赫居世[18]の別名によるという閼智の「閼」は卵や穀霊の意で、「智」は尊称語尾とされるほか[19]、「閼」には知る・開くの意味があり創造神の尊宗に通じるといわれ[15]、「閼智」は主者・王者の称号ともいわれる[7]

出典

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  1. ^ a b 경주 계림 (慶州 鷄林)”. 국가문화유산포털. 문화재청. 2023年5月14日閲覧。
  2. ^ 慶州の歴史地域”. ユネスコ・アジア文化センター (ACCU). 2023年5月14日閲覧。
  3. ^ 慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])”. Visit Korea. 地域ガイド. 韓国観光公社 (2021年7月30日). 2023年5月14日閲覧。
  4. ^ a b 東、田中 (1988)、13頁
  5. ^ 朝鮮神話”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年5月13日閲覧。
  6. ^ 秦 (1973)、19頁
  7. ^ a b 橋尾 (2015)、61頁
  8. ^ 秦 (1973)、19・138頁
  9. ^ 慶州 鶏林(경주 계림)”. Korea Trip Tips. 韓国観光公社. 2023年5月14日閲覧。
  10. ^ 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、87頁
  11. ^ a b 秦 (1973)、139頁
  12. ^ 金櫃図”. 國立中央博物館. 主要収蔵品検索. 国立中央博物館. 2023年5月14日閲覧。
  13. ^ a b 秦 (1973)、138頁
  14. ^ 『三国史記 1』(1980)、236頁
  15. ^ a b 新羅史研究会 (2001)、50頁
  16. ^ 新羅史研究会 (1999)、132-133・135頁
  17. ^ 新羅史研究会 (2001)、51頁
  18. ^ 東、田中 (1988)、10-12頁
  19. ^ 『三国史記 1』(1980)、36頁
  20. ^ 新羅史研究会 (2001)、49-50頁
  21. ^ 李 (1983)、5頁
  22. ^ 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、88頁
  23. ^ 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、87-88頁

参考文献

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  • 秦弘燮『慶州文化財散歩』學生社、1973年。 
  • 金富軾三国史記 1』井上秀雄(訳注)、平凡社東洋文庫 372〉、1980年。ISBN 4-582-80372-5 
  • 李丙洙「朝鮮の姓 - 由来と南・北の現実を中心に」『史苑』第43巻第1号、立教大学史学会、1983年6月、1-23頁、doi:10.14992/00001196ISSN 038693182023年5月14日閲覧 
  • 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001690-0 
  • 新羅史研究会「『三国遺事』訳註(六)」『朝鮮文化研究』第8巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室、1999年3月10日、41-51頁、doi:10.15083/00020030812023年5月14日閲覧 
  • 新羅史研究会「『三国遺事』訳註(八)」『朝鮮文化研究』第8巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室、2001年3月10日、41-51頁、doi:10.15083/00020030962023年5月14日閲覧 
  • 橋尾直和按司の名称をめぐる語源に関する比較言語学的考察」『高知県立大学文化論叢』第3巻、高知県立大学文化学部、2015年3月31日、61-72頁、ISSN 2187-6673NAID 1200066464972023年5月14日閲覧 
  • 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 編『歴史探訪 韓国の文化遺産 下 慶州・釜山』山川出版社、2016年。ISBN 978-4-634-15088-1 

関連項目

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外部リンク

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