鷺田村 (香川県)

さぎたむら
鷺田村
廃止日 1940年2月11日
廃止理由 編入合併
屋島町鷺田村古高松村木太村太田村高松市
現在の自治体 高松市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 香川県
香川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.16 km2
総人口 7,472
(1940年2月10日)
隣接自治体 高松市太田村一宮村檀紙村弦打村
村長 内井市太郎[1]
鷺田村役場
所在地 香川県香川郡鷺田村大字坂田字土居381番地[2][3]
座標 北緯34度19分10秒 東経134度02分14秒 / 北緯34.319556度 東経134.037222度 / 34.319556; 134.037222 (鷺田村)座標: 北緯34度19分10秒 東経134度02分14秒 / 北緯34.319556度 東経134.037222度 / 34.319556; 134.037222 (鷺田村)
地図
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

鷺田村(さぎたむら)は、香川県香川郡にあった1940年高松市へ編入合併され消滅した。

歴史

[編集]

高松城を築城した生駒氏によって、地区の中心に琴平街道が通された。

高松城築城以前、香東川の本流が流れていたことから、至る所で澄んだ涌き水に恵まれ、昔から製紙業が盛んである。

行政区域としては1890年(明治23年)2月15日町村制施行により坂田村、勅使村、馬場村、万蔵村、沖村が香川郡鷺田村(さぎたむら)となった。

50年後の1940年(昭和15年)2月11日には周辺自治体とともに高松市と合併し自治体としての鷺田村は消滅した。鷺田村の合併後に高松市鶴尾出張所が設置され旧村域は鶴尾地区としてその管内となったが、そのうち峰山町は本庁地区に、三条町は太田地区にそれぞれ所属することになり、現在の鶴尾地区は合併前の鷺田村の区域を維持していない。その他設定された町名は他の地区と異なり、合併前の村名やその中の大字はその多くが継承されず、分割された上で名称も変更され現在では残っていないか、区域はそのまま残っているが名称は改称されやはり現在では残っていない場合がほとんどである。その中でも唯一勅使町だけが区域・名称ともに残っていて、旧村名「鷺田」は郵便局に名前の残すのみとなった。(鶴尾#地名も参照。

  • 旧大字坂田→西ハゼ町、紙町(401番地-543番地)、松並町、西春日町、峰山町
  • 旧大字勅使→勅使町
  • 旧大字馬場→紙町(544番地-607番地)、田村町
  • 旧大字万蔵→三条町、東ハゼ町、室新町、室町
  • 旧大字沖→紙町(1番地-112番地)、上天神町

村役場は合併後、高松市鶴尾出張所として使用されたが、その後出張所は田村町へ移転し建物は解体された。敷地は駐車場となっている。

年表

[編集]
  • 1872年(明治5年) - 1883年(明治16年) - 各村に勅使小学校(勅使村)、坂田小学校(坂田村)、敬勝小学校(万蔵村)、育成小学校(沖村)、文成小学校(馬場村)が開校。
  • 1886年(明治19年)11月 - 坂田小学校、敬勝小学校、育成小学校が統合され、沖村に鷺田小学校が設置される。
  • 1890年(明治23年)2月15日 - 自然村である香川郡坂田村、勅使村、馬場村、万蔵村、沖村の区域を以って町村制を施行し、行政村香川郡鷺田村成立
    • 旧自然村の区域を継承した坂田、勅使、馬場、万蔵、沖の5大字を設置。
  • 1892年(明治25年)9月1日 - 勅使小学校、鷺田小学校、文成小学校がそれぞれ勅使尋常小学校、鷺田尋常小学校、馬場尋常小学校に改名。
  • 1906年(明治39年)9月1日 - 勅使尋常小学校、鷺田尋常小学校、馬場尋常小学校を統合し、鷺田尋常小学校開校(現・高松市立鶴尾小学校)。
  • 1915年 - 鷺田村小学校事件発生。
  • 1933年 - 高松裁判事件発生。
  • 1940年(昭和15年)2月11日 - 香川郡鷺田村が高松市に合併(高松市第4次合併)。
    • 旧大字坂田の区域に西ハゼ町・紙町(一部)・松並町・西春日町・峰山町、旧大字万蔵の区域に三条町・東ハゼ町・室新町・室町、旧大字馬場の区域に紙町(一部)・田村町、旧大字沖の区域に紙町(一部)・上天神町を設置し、それ以外は旧大字の区域を継承した勅使町を設置。

高松市編入以後は「鶴尾」を参照

経済

[編集]

産業

[編集]
  • 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば鷺田村の篤農家は、「水口政太郎、岡仁平、田中賢太、吉村林五郎、中西小太郎、松本彦蔵、星野米吉、古市善六、星野秋次、谷本虎吉、山本喜八」などである[4]

地域

[編集]

人口

[編集]
1920年(大正9年) 5,991人
1925年(大正14年) 6,688人
1930年(昭和5年) 6,976人
1935年(昭和10年) 7,340人
総務省統計局 / 国勢調査1935年

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 大日本篤農家名鑑編纂所 編『大日本篤農家名鑑』 第1冊、大日本篤農家名鑑編纂所、東京市芝区、1910年5月12日。doi:10.11501/782783NCID BA65874002OCLC 672541642 
  • 青井常太郎 編『讃岐香川郡志』香川県教育会香川郡部会、高松市、1934年12月8日。doi:10.11501/1043830NCID BN1081377XOCLC 673722448 
  • 高松市史編修室 編『新修高松市史』 第1、高松市役所、高松市、1964年12月15日。doi:10.11501/3030912NCID BN05923101OCLC 672588589 
  • 高松市史編修室 編『新修高松市史』 第3、高松市役所、高松市、1969年2月15日。doi:10.11501/3030978NCID BN05923101OCLC 703819378 

関連項目

[編集]