黒田直温
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明4年6月28日(1784年8月13日) |
死没 | 享和元年7月24日(1801年9月1日) |
改名 | 鶴松(幼名)、直温 |
別名 | 道義(別名) |
戒名 | 賢良院潤徳 |
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 |
官位 | 従五位下、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総国久留里藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田直英 母:松平信礼の娘・品子(祇園院) |
兄弟 | 三五郎、直温、直行 |
子 | 養子:直方 |
黒田 直温(くろだ なおあつ)は、上総久留里藩の第4代藩主。久留里藩黒田家5代。
天明4年(1784年)6月28日、第3代藩主・黒田直英の次男として江戸下谷藩邸で生まれる。
寛政11年(1799年)12月、従五位下、大和守に叙位・任官する。
藩政においては藩財政再建に尽力したが、効果を挙げることなく、享和元年(1801年)7月24日に死去した。享年18。嗣子がなく、叔父の直方が養子となって跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
養子