三桓氏
三桓氏(さんかんし)は、古代中国の魯の公族で、春秋時代・戦国時代の魯の第15代君主桓公の子孫の孟孫氏(仲孫氏)・叔孫氏・季孫氏の事を指す。
概要
[編集]魯の第15代桓公の子に生まれた3兄弟の慶父・叔牙・季友は後に嫡兄の第16代荘公の重臣となり、慶父から孟孫氏(仲孫氏)、叔牙から叔孫氏、季友から季孫氏にそれぞれ分かれて代々魯の実権を握る事となる。中でも特に権力を極めたのが季孫氏である。
第22代・襄公の子である第23代昭公が紀元前517年に季孫氏当主の季孫意如を攻めるが、逆に三桓氏の軍事力に屈し、国外追放された。また、第24代定公が就任してから8年目の紀元前502年に季孫氏の有力家臣であった陽虎が叔孫氏・孟孫氏(仲孫氏)の家臣を従えて、三桓氏の君主を追放する反乱を起こしたが陽虎は敗れ、国外追放された。
紀元前498年(定公12年)、季孫氏の宰であった子路は三桓の居城の破壊を命じたが、成功しなかった[1]。
定公の次の哀公は三桓氏を除こうとして失敗し、魯から追放されて、越の地で死亡した。
その後、三桓氏は悼公を立てたが、もはや魯公の力はきわめて弱いものになっていた。
三桓世系
[編集]季孫氏
[編集]- 季友(成季)
- 季孫行父(季文子)
- 季孫宿(季武子)
- 季孫紇(季悼子)
- 季孫意如(季平子)、映画「孔子」に出てくる。
- 季孫斯(季桓子)
- 季孫肥(季康子)
- 季孫佗(季宣子)
- 季孫莒(季懿子)
- 季孫彊(季昭子)
叔孫氏
[編集]孟孫氏
[編集]脚注
[編集]- ^ 『春秋左氏伝』定公12年