大村純英
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大村 純英(おおむら すみひで、1872年2月24日(明治5年1月16日) - 1933年(昭和8年)5月8日)は、明治時代から昭和時代初期の華族、陸軍軍人。従四位、伯爵。夫人は真田幸民の娘・田鶴子。
略歴
[編集]大村武純(大村藩11代藩主大村純顕三男、男爵)の長男として生まれ、大村純雄の養子となった。純雄は純顕の弟で12代藩主であった大村純熈の婿養子[1]であり、純雄の夫人と純英の父が従兄妹という関係になる。なお、武純の男爵家は純英の妹・常子の婿で、純雄と同じく島津家出身(共に純雄のまたいとこにあたる島津珍彦と夫人典子の次男)の大村純久が継いだ。
純英は1894年(明治27年)に陸軍士官学校(5期)を卒業し、1918年(大正7年)7月に大佐となり、大村にあった歩兵第46連隊の連隊長となった。1923年(大正12年)8月、陸軍少将に昇進し、歩兵第23旅団長を1年間務めた。1924年(大正13年)8月に予備役編入された。
1927年(昭和2年)10月、養父純雄の隠居により襲爵したが、養父より1年前に死去している。墓所は青山墓地。家督は子の大村純毅が継いだ。
家族
[編集]栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、534頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第3624号「叙任及辞令」1924年9月19日。
- ^ 『官報』第1905号「叙任及辞令」1933年5月11日。
参考資料
[編集]- 「大村純毅伝」(1976年、富田清久・松井保男編)
日本の爵位 | ||
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先代 大村純雄 | 伯爵 (彼杵)大村家第2代 1927年 - 1933年 | 次代 大村純毅 |