安然 (明)

安 然(あん ぜん、泰定元年(1324年)- 洪武14年8月28日1381年9月16日))は、初の官僚本貫開封府祥符県

生涯

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祥符から潁州に移住した。元末に左丞として萊州を守った。至正27年(1367年)12月[1]徐達常遇春の軍が山東に進攻すると、安然は人々を率いて帰順した。洪武元年(1368年)12月、山東参政となった[2]

洪武2年(1369年)、南京に召還されて工部尚書となった。洪武5年(1372年)、河南参政として出向。洪武8年(1375年)、黄河が開封の太黄寺堤で決壊すると、安然は民夫3万人を徴発してこれを塞いだ[3]

洪武9年(1376年)、浙江布政使として赴任。洪武12年(1379年)9月、入朝して御史台右大夫となった[4]。洪武13年(1380年)1月、御史台左中丞に転じたが、同年5月に事件に連座して免官。

洪武14年(1381年)1月、南京に召還されて四輔官となり[5]、8月に死去。享年は58。

脚注

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  1. ^ 続資治通鑑』巻220
  2. ^ 談遷国榷』巻3
  3. ^ 明史』河渠志一
  4. ^ 『国榷』巻6
  5. ^ 『国榷』巻7

参考文献

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  • 『明史』巻137 列伝第25