寺田雅雄
寺田 雅雄(てらだ まさお、1895年(明治28年)11月23日[1][2] - 1988年(昭和63年)4月25日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]福井県出身[1][2][3]。小浜中学校(現福井県立若狭高等学校)卒業を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第36連隊付となる[1][4]。1921年(大正10年)4月から翌年10月までシベリア出兵に従軍[1]。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を首席で卒業し歩兵第36連隊中隊長に就任した[1][2][3]。
陸軍省軍務局付勤務、同局課員、イギリス駐在、参謀本部員などを務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵中佐に昇進[1]。1937年(昭和12年)10月、第10軍参謀に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。1938年(昭和13年)3月、大本営参謀に転じ、同年7月、歩兵大佐に昇進[1][3]。1939年(昭和14年)2月、関東軍参謀(第1課長)となり、ノモンハン事件の作戦指導を行う[1][2][3]。以後、参謀本部付、千葉陸軍戦車学校付、戦車第1連隊長、陸大教官などを歴任し、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に昇進[1][3]。
1942年(昭和17年)6月、機甲軍参謀長に発令され満州に赴任[1][2][3]。その後、第2方面軍参謀副長を経て、陸軍機甲本部付となり、1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進んだ[1][2][3]。同年5月、機甲本部長に就任し終戦を迎えた[1][2][3]。同年12月、予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。