花石駅
花石駅 | |
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はないし Hanaishi | |
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所在地 | 北海道瀬棚郡今金町字花石 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 瀬棚線 |
キロ程 | 16.6 km(国縫起点) |
電報略号 | ハイ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)12月13日 |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月16日 |
備考 | 瀬棚線廃線に伴い廃駅 |
花石駅(はないしえき)は、かつて北海道瀬棚郡今金町字花石に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はハイ。事務管理コードは▲141603[1]。
歴史
[編集]- 1929年(昭和4年)12月13日 - 鉄道省瀬棚線国縫駅 - 当駅間開通に伴い開業(一般駅)[2][3]。
- 1930年(昭和5年)10月30日 - 当駅 - 今金駅間の延伸に伴い、中間駅となる[4]。
- 1953年(昭和28年)度:前年度まで無電燈駅であったが、同年度に電燈駅化[5]。
- 1979年(昭和54年)3月10日 - 貨物取扱い廃止[6]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[6]。
- 1987年(昭和62年)3月16日 - 瀬棚線の全線廃止に伴い、廃駅となる[6]。
駅名の由来
[編集]開業時点での当地の地名は「利別村上利別原野[3]」であったが、「この地方にはメノウが多く産出するので、その美しさを花にたとえて[2]」名付けられたとされる[2][7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型の2面2線を有する地上駅で、列車交換が可能な交換駅であった。互いのホームは、単式ホーム東側と島式ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。線路南側の駅舎側単式ホームが下り1番線、島式ホーム駅舎側が上り2番線となっていた。また、島式ホームの外側の1線は1983年(昭和58年)時点で側線扱いで残っていた[8]。
職員配置駅で、駅舎は構内の南東側(瀬棚方面に向かって左側)に位置し単式ホームに接していた[8][9]。駅舎は古い木造駅舎で白いペンキ塗りの建物で[8]、丹羽駅とほぼ同型の建物であった。ホームはアスファルト舗装されていた[8]。
利用状況
[編集]- 1981年度の1日乗降客数は42人[8]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]2000年(平成12年)時点で駅跡近辺は、道路工事で出た土砂の置き場となっていた[10]。2011年(平成23年)時点では、近辺の築堤以外は何も残っていない[11]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、219頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、24頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1929-12-05). “鉄道省告示 第254号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (881) .
- ^ 内閣印刷局, ed (1930-10-22). “鉄道省告示 第278号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1145) .
- ^ 北海道新聞社 編『北海道年鑑 1954年版』北海道新聞社、1953年10月15日、198頁。doi:10.11501/2980303 。
- ^ a b c 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、25頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)64ページより。
- ^ 書籍『廃線終着駅を訊ねる 国鉄・JR編』(著:三宅俊彦、JTBパブリッシング、2010年4月発行)10-11ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)76-78ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)75ページより。