靜嚴(じょうごん、寛元元年(1243年)- 永仁7年正月7日(1299年2月8日)[1])は、鎌倉時代の真言宗の僧。摂政関白従一位左大臣の一条実経の子。母は大納言・粟田口忠良の子、良性法印の娘[1]。殿大僧正と号す。
厳舜について出家し、勝尊、親杲に灌頂を受ける。醍醐寺[1]座主や随心院門跡[1]、東寺長者[1]となる。法務大僧正[1]。永仁7年(1299年)に57歳で入滅。
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