1911型大型水雷艇
1911型大型水雷艇(ドイツ語: Großes Torpedoboot 1911)は、ドイツ帝国の大型水雷艇。1911年から1913年にかけて26隻が建造された。その規模から、駆逐艦とみなされる場合もある[1]。
前級となる1906型大型水雷艇最終艇となったG197の後に続く198 - 207を予定されていた連番を1に戻し、より小型で機動性の高い艇として設計された[1]。だが、この試みは安定性を欠き、激しい海況では運用できないため失敗に終わり、加えて燃料の運用にも支障を来した[2][1][3]。結果、当時水雷総監であったヴィルヘルム・ランス中将の名から「ランスの障害者」(Lans-Krüppel)とまで称されることとなった[1][2]。ただし、この計画はアルフレート・フォン・ティルピッツの費用節減路線をランスが踏襲したに過ぎない、とする説も存在している[2]。後継の1913型大型水雷艇では方針を変更し、艇体を拡大している[1]。
AG ヴルカン建造のV1級8隻、ゲルマニアヴェルフト建造のG7級6隻、F・シーヒャウ建造のS13級12隻の3種26隻が建造され、その内V1級2隻がギリシャに輸出されてケラウノス級駆逐艦となっている[1]。これらは、搭載機関、艇体が異なるものの、搭載する武装は同一であった[1]。
艇体
[編集]要目 | V1級大型水雷艇 | G7級大型水雷艇 | S13級大型水雷艇 | |
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排水量 | 設計排水量 | 569t | 573t | 568t |
満載排水量 | 697t | 719t | 695t | |
全長 | 71.1m | 71.5m | 71.5m | |
水線長 | 70.2m | 71m | 71m | |
全幅 | 7.6m | 7.6m | 7.4m | |
吃水 | 3.1m | 3m | 2.8m | |
機関 | タービン | AEGヴルカン蒸気タービン2軸[4] | ゲルマニアヴェルフト2軸 | シーヒャウ2軸 |
缶 | 石炭3缶石油1缶[4] | 石炭3缶石油1缶[3] | 石炭3缶石油1缶[3] | |
出力 | 17,000shp | 16,000shp | 15,700shp | |
速力 | 32kt | 32kt | 32.5kt | |
燃料 | 石炭 | 107t | 110t | 108t |
石油 | 78t | 80t | 72t | |
航続距離 | 17kt | 1190海里 | 1150海里 | 1050海里 |
29kt | 490海里 | - | 600海里 | |
乗員 | 74 | 74 | 74 |
武装
[編集]8.8cm(砲身長30口径)単装砲2門、500mm魚雷発射管4門を備えた[1]。加えて機雷18基と魚雷の予備弾1発を搭載可能であった[4]。後に砲はより強力な砲身長45口径の8.8cm砲と交換されている[1][4]。
型式
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Conway's All The World's Fighting Ships 1906–1921. Conway Maritime Press. (1985). pp. 164、166. ISBN 0851772455
- ^ a b c James Goldrick (2015-05-15). Before Jutland: The Naval War in Northern European Waters, August 1914 - February 1915. Naval Institute Press. p. 35. ISBN 9781612518817
- ^ a b c С.Б. Трубицын (2000). Эскадренные миноносцы и миноносцы Германии 1871—1918 гг. pp. 52-57、97
- ^ a b c d Jürgen Prommersberger (2017). “Chapter 2 Order of Battle: The Hochseeflotte”. Battles at Sea in World War I - Jutland. ISBN 9788826009193