1925年のスポーツ

できごと

[編集]

総合競技大会

[編集]

アメリカンフットボール

[編集]

大相撲

[編集]

4月、皇太子(のちの昭和天皇)の台覧相撲が東宮御所でおこなわれ、そのときの下賜金で摂政宮杯がつくられ、翌年から個人優勝者に持ち回りで授与されるようになった。

7月、東京・大阪の両相撲協会の合併が調印された。

11月14日より、東西合同にともなう力量審査のため、京都市内で合併相撲が行われた。

12月28日、9月30日に申請した財団法人の認可がおりた。当時の名称は「大日本相撲協会」であった。

優勝掲額者

優勝旗手

ゴルフ

[編集]

世界4大大会(男子)

[編集]
全米プロゴルフ優勝者:ウォルター・ヘーゲンアメリカ)]

自転車競技

[編集]

ロードレース

[編集]
総合優勝:アルフレッド・ビンダイタリア
総合優勝: オッタビオ・ボテッキアイタリア

テニス

[編集]

グランドスラム

[編集]

全仏選手権がこの年から「国際大会」になり、フランス人以外の選手にも出場資格が与えられるようになった。この大会に関しては、「公認優勝記録」は1925年以後のものとなる。全米選手権の男子シングルスで、“ビッグ・ビル”ことチルデンが大会6連覇を達成。

野球

[編集]

日本

[編集]
早慶戦再開前に握手を交わす両校主将

東京六大学野球

[編集]
  • 春 - 東京帝大が早慶明立と1試合ずつ対戦、立大に勝利。
  • 秋 - 東京六大学野球連盟発足。開幕試合は明立1回戦(9月20日)。東京帝大が正式加盟。
    • 早慶戦が19年ぶりに復活(戸塚球場)。
      • 10月19日 - 早慶1回戦 早11 - 0慶
      • 10月20日 - 早慶2回戦 早07 - 1慶
    • 早大が10勝1敗で六大学最初の優勝者となった。
    • 六大学最初の勝利投手は湯浅禎夫(明大)。
    • 東武雄(東大)が六大学最初の本塁打を放つ。
    • 首位打者は氷室武夫(早大、3割4分3厘)。

高専野球

[編集]

中等野球

[編集]

アメリカ大リーグ

[編集]

誕生

[編集]

死去

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『東京朝日新聞』 1925年6月20日
  2. ^ 大和球士 『真説 日本野球史《大正篇》』 ベースボール・マガジン社、1977年、278頁
  3. ^ “タスキが…歴史に残る数々の“事件”/箱根連載5”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. (2021年1月1日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202101010000097.html 2021年1月15日閲覧。 
  4. ^ a b “箱根駅伝、前代未聞の“替え玉事件”とは?「誰も知らない日大ランナーが3区でごぼう抜き…」”. NumberWeb. 株式会社文藝春秋: p. 1. (2021年1月1日). https://number.bunshun.jp/articles/-/846530 2021年1月15日閲覧。