AJYMフィルム

AJYMフィルム(アジム・フィルム、AJYM Films)は、かつて存在したフランスの映画製作会社映画監督クロード・シャブロルの会社であり、初期ヌーヴェルヴァーグの作品群を本格的に生み出したことで知られる。

概要・来歴

[編集]
  • 1952年6月にシャブロルは最初の結婚をした。その後、妻アニエスの祖母の巨額の遺産(夫婦で総額6万4,000ドル)を相続し、この潤沢な資金で1956年に設立したのが同社である。AJYMとは、シャブロルの妻の名「アニエス Agnès」、息子たちの名「ジャン=イヴ Jean-Yves」と「マチュー Mathieu」の頭文字を並べたものである。
  • 次にシャブロルは、2本の劇映画をつくる決断をする。脚本を書き、より低予算で仕上がる方を先に製作することにした。それが自らの監督デビュー作『美しきセルジュ』であった。1957年12月 - 1958年2月に撮られたこの作品は、製作予算をややオーヴァーしてしまったが、同年のカンヌ国際映画祭のコンペ外で上映され、プリセールスで収入を得た。その資金で2作目『いとこ同志』を製作した。『美しきセルジュ』は、トリュフォーの義父が経営するコシノールの配給で、1959年1月10日封切られ、13週間のファーストランで好成績をあげたが、つづく同年3月11日公開の『いとこ同志』は、もっと大規模な劇場チェーンで封切られ、14週間のファーストランで前作の4倍の興行収入をあげる大ヒットとなった。とくに、二作目は、第9回ベルリン国際映画祭で金熊賞をも受賞し、主演したブリアリとジェラール・ブランを新しいスター俳優に変えた。
  • このヒットの資金は、エリック・ロメールの処女長編『獅子座』の製作費に当てられ、1959年夏のパリで撮影されることになる。ちなみにシャブロルの遺産のエピソードが本作のストーリーには盛り込まれている。
  • 1960年、トリュフォーの会社レ・フィルム・デュ・キャロッスとの共同製作で、リヴェットの処女長編『パリはわれらのもの』を製作・公開。本作にはシャブロルもリヴェットもゴダールもジャック・ドゥミまでもが出演し、トリュフォーは『突然炎のごとく』の劇中でジャンヌ・モローにこの作品のタイトルを叫ばせている。当時のヌーヴェルヴァーグの熱狂のなかにシャブロルはいた。
  • 続いて、同社は、シャブロルのデビュー作からの、そしてトリュフォーの『大人は判ってくれない』の助監督であったフィリップ・ド・ブロカを監督デビューさせた。

フィルモグラフィー

[編集]