CAC ワイラウェイ
CAC ワイラウェイ
CAC ワイラウェイ[1](CAC Wirraway)は、オーストラリアのコモンウェルス・エアクラフト社が生産したレシプロ練習機である。
同社が初めて生産した航空機であり、ワイラウェイとはアボリジニの言葉で「挑戦」を意味する。
概要
[編集]1936年に設立されたコモンウェルス・エアクラフト社(以下CAC)は、航空技術委員会がアメリカを訪問した後、ノースアメリカン社のNA-16練習機と、同機に搭載されるR-1340エンジンのライセンス生産に合意した。こうして製造されることとなった本機は、ノースアメリカン社ではNA-33、CACではCA-1の型式で呼ばれ、オーストラリア製の初号機は1939年3月27日に初飛行した。外見は原型を同じくするT-6 テキサンとよく似ているが、主翼以外が未だ羽布張りである点と、3枚プロペラを採用した点が大きな違いであった。
初飛行から4か月後には早くもオーストラリア空軍に最初の3機が納入され、第二次世界大戦が勃発したことで発注機数も増加、40機生産されたCA-1に続きCA-3(60機)、CA-5(32機)、CA-7(100機)、CA-8(200機)、CA-9(188機)、CA-16(135機)と改良されていき、最終的に755機が1946年までに生産された。軽爆撃機型のCA-10は計画のみに終わり、戦後航空隊が設立されたオーストラリア海軍向けに改造された機体はCA-20と呼称された。
CACは本機を元にしてCA-12 ブーメラン戦闘機を開発している他、戦後残った機体の何機かはCA-28 セレス農業機の基となった。
実戦投入
[編集]太平洋戦争開戦の時点で7個の第一線飛行隊に多用途機として配備されていたが、当時のオーストラリア空軍には戦闘機が不足していたため、武装可能だった本機は応急的な戦闘爆撃機として実戦投入された。主に船団哨戒や対地攻撃、偵察の任務に就き、急降下爆撃の際はJu 87の「ジェリコのラッパ」を真似てスープの空き缶を改造した簡易サイレンを取り付けたこともあった。
戦闘任務にも投入されたが、やはり戦闘機としての性能には限界があり、一式陸攻を迎撃しても速度が足りず捕捉できなかった。ニューブリテン島では1942年1月20日に10機が空爆を避けて離陸した所を高高度から零戦の襲撃を受け、5機が撃墜され3機が大破、雲中に隠れた2機だけが難を逃れるという大敗を喫し作戦不能となってしまった。しかし同年12月26日にはニューギニア方面で零戦1機を急降下からの射撃で撃墜する戦果を挙げており、これが本機唯一の撃墜記録となった。
1943年中頃には、本機を運用していた第一線飛行隊の大半がブーメランなどのより実戦向きな機種に更新しており、本来の役割である練習機として使用されるようになっていった。
要目(CA-1)
[編集]- 乗員:2名
- 全長:8.48 m
- 全幅:13.11 m
- 全高:2.66 m
- 翼面積:23.76 m2
- 空虚重量:1,811 kg
- 最大離陸重量:2,991 kg
- エンジン:CAC R-1340-S1H1G 星型エンジン(600馬力)×1
- 最大速度:354 km/h(高度5,000 ft)
- 巡航速度:293 km/h(高度5,000 ft)
- 実用上昇限度:7,010 m
- 航続距離:1,159 km
- 武装:
- 機銃:ヴィッカース Mk V 7.7 mm機銃×2(前方射撃用)、ヴィッカース Mk I 7.7 mm旋回機銃×1
- 機外兵装搭載量:454 kg
脚注
[編集]- ^ 原語に忠実な発音/カタカナ表記としては“ウィラウェイ”がより近い(pronouncekiwi - How To Pronounce Wirraway)
参考文献
[編集]- 分冊百科『週刊 ワールド・エアクラフト』No.95 デアゴスティーニ:刊 2001年
- 岡部いさく:著『「世界の駄っ作機 番外編―蛇の目の花園」』 (ISBN 978-4499228534)大日本絵画:刊 2004年
- p.87-91「JH014 CAC ワイラウェイ「OZ、果敢に挑戦す!」