Tennis for Two
DuMont Labオシロスコープ タイプ304-Aで。 | |
ジャンル | テニスゲーム |
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対応機種 | 単独マシン |
開発元 | ブルックヘブン国立研究所 とウィリアム・ヒギンボーサム |
発売元 | 非売品 |
人数 | 2人 |
メディア | データ読み書き無し |
発売日 | 1958年10月(開発者以外に公開された日) |
売上本数 | 1台 |
その他 | 研究所外の一般人が遊んだ初のテレビゲーム |
『Tennis for Two』(テニス・フォー・ツー)は、1958年に開発されたコンピュータゲームである。
アメリカの物理学者、ウィリアム・ヒギンボーサムによって開発された最初期のコンピュータゲームとされるもののひとつ[1]である。『電視遊戯大全』および『電視遊戯時代』では、このゲームを世界初としている。世界で初めて「研究でコンピュータを使っている人だけでなく、不特定多数の人に遊ばれた」「遊んだ人も大いに楽しんだ」「ブラウン管表示を使う」「リアルタイムインタラクティブ性のある」ゲームである(ただし「コンピュータ」ゲームとしては、現在一般的なディジタルコンピュータではなく、アナログコンピュータを使ったゲームである)。
「Tennis for Two(二人でテニスを)」のタイトルは、アメリカの楽曲および映画「二人でお茶を」に由来すると思われる(なお『~大全』及び『~時代』では名前はなかったとしている)。
『Tennis for Two』が出来るまでの背景
[編集]ヒギンボーサムはニューヨーク州アプトンにある連邦原子力研究機関、ブルックヘブン国立研究所(Brookhaven Naitonal Laboratory、通称BNL)計測器部門の責任者で、日本に落とされた原子爆弾の計画「マンハッタン計画」にも関わり、レーダーシステムの改良を担当していた。しかし地元住民には原子力に対する不安があった為、研究が安全である事をアピールしようと、研究所を毎年秋に一般公開していたが、内容は機材や写真だけで、住民には退屈としか思えなかった。
そこでヒギンボーサムは、楽しみながら研究を理解してもらうのが一番と考え、同部所の技術者であるロバート・ボブ・ドボラックと共に、3週間でこの展示を完成させ、1958年10月、展示会に来た見学者に実際遊んでもらった。
ゲームの概要・操作方法
[編集]一般的なピンポンテニスゲームは『オデッセイ』やアタリの『ポン』の様に、真上から見下ろした視点でラケットが上下に動く。だが『Tennis for Two』は横から見た視点で、地面をあらわす横のラインと、ネットをあらわす縦の短いラインが描かれ、ボールは放物線を描いて下に落ちる。
使用する操作装置はボタン1(ゲームリセット)、つまみ(ボールの落下する放物線角度を変える)、ボタン2(打ち返す)である。点数表示は無い。ボールを打ち返す音は付いていたが、音声や動画は記録されていない(再現(後述)された装置による動画を見ると、リレースイッチが働いてボールが跳ね返る(輝点を制御する電圧の変化が逆転する)ため、そのリレーの動作音が聞こえている)。
ハードウェア面を説明すると、オシロスコープ(直径5インチ/13センチ)をモニターとして用い、スイッチを箱に取り付けたコントローラから操作する。本体は冷蔵庫ないしタンス大のアナログコンピュータ2~3台と、それらをリレー等で組み合わせた配線から成る。
アナログコンピュータを利用しているので、精密にはアナログコンピュータゲームとなる。
その後の『Tennis for Two』
[編集]『Tennis for Two』は大評判となり、これを遊ぶ為に何時間も並ぶ人が出た程だった。翌1959年にはより大きな15インチオシロスコープで公開され、重力の違う惑星上ではどう違ってくるかという様子も展示された。しかし翌年までには別の研究に使う為、解体された。
電子回路の特許を20個持っていたヒギンボーサムは、『Tennis for Two』については権利を主張する事が無かった。またこれを継続しようとする者や、ゲームビジネスに使おうとする者も現れず、『Tennis for Two』の存在は長年埋もれたままになった。
1982年2月頃、ビデオゲームに関する裁判でヒギンボーサム自身が証言したのが、再度脚光を浴びるきっかけになったと言われている。世界初のゲーム歴史研究家と言われるDavid Ahlが同年11月、コンピュータ雑誌に記事を載せた事で、広く知られるようになった。
復元
[編集]1997年には、オペアンプICを使用して(元の機材のアナログコンピュータは真空管を使っていた)復刻、公開された。2010年12月にオリジナルの機材による復元と一般公開について発表された[2](なお、『テレビゲームとデジタル科学展』で展示されたものは、実物に似た表示を見せるだけのレプリカであった。同展では『スペースウォー!』も同様の展示であったが、そちらはエミュレータを使用したもので、遊ぼうと思えば遊べる状態だったという)。
雰囲気を楽しむだけであれば、ソフトウェアによるシミュレーションにより、ネット上のフラッシュサイトなどで遊ぶことができる。
脚注
[編集]- ^ 最初期のコンピュータゲームやビデオゲームは非公式かつ同時多発的に作られたものが多く、どれを「最初」とするかは研究者の立場や見解に依る。たとえば1952年の『OXO』は、資料によってさらに古いことが確認できるゲームのひとつであるが、既存の遊び(いわゆる○×)を再現したもので、しかしコンピュータとの対戦という要素がある、など。詳細はコンピュータゲームの歴史を参照。
- ^ http://scienceblogs.com/brookhaven/2010/12/14/resurrecting-one-of-the-worlds/
参考文献
[編集]- 『電視遊戯大全』『電視遊戯時代』
- それは『ポン』から始まった:赤木真澄 アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 C3076