ふれあい広場・サンデー九

ふれあい広場・サンデー九
ジャンル 情報番組
出演者 坂本九
宇都宮庸子
製作
制作 札幌テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1976年昭和51年)10月3日[1][2] - 1985年(昭和60年)9月29日[3]
放送時間日曜 9:00 - 9:30
放送分30分
回数462
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ふれあい広場・サンデー九』(ふれあいひろば・サンデーきゅう)は、1976年昭和51年)10月3日[1][2]から1985年(昭和60年)9月29日[3]まで札幌テレビ (STV) で放送された社会福祉関連の情報番組。司会を務めた坂本九冠番組でもある。全462回[4]。放送時間は毎週日曜 9時00分 - 9時30分(JST[5]

本項では、2011年平成23年)4月8日から2014年(平成26年)3月28日までSTVラジオで放送された同名ラジオ番組についても記述する。

概要[編集]

STVが1962年から1971年にかけ年末に開催していた小児麻痺対策を目的とした特別番組「グランドチャリティショー」にて坂本九が1963年の第2回開催から司会として出演し[6]、これをきっかけにSTVと坂本の関係が深まり、より福祉に徹した番組を作ろうとの考えで生まれたのが当番組である[7][8]。福祉分野に日の当たらない時代のなか幅広い層に見てもらうべく親しみやすい人材が必要として坂本が起用され当初は「硬派なテーマに軟派なタレントは相応しくない」との反対意見があったものの[4]、坂本は月に平均して2-3回来道し北海道内の福祉施設へ訪れ[9]障碍者の生活を取り巻く問題や話題を道内や日本国内はもちろんのこと、海外取材も行って伝えていた。また、聴覚障碍者にも番組を「観て」もらうべく、全編にテロップを入れて、生放送の時は手話通訳で放送していた。坂本はSTVも参加している日本テレビ系列の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のSTV担当司会も1978年の番組開始時から務めていた。

スポンサーは、北海道電力が一貫して一社提供で担当していた。

1985年(昭和60年)8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で坂本が死去。10月上旬の本放送を予定していた7月29日に栗山町で行われた「ノビロ学園」のワークキャンプ[10]、7月29-30日に蘭越町内の「黒松内つくし園」系列のレクリエーション施設「ふれあいの里」開業記念のキャンプに参加したロケが生前最後の来道収録となり[9]、8月18日放送で「坂本九さんをしのぶ」の副題で追悼企画を実施し翌9月まで収録済みの内容を放送[11]。坂本の事故死に際し、共同作業者の永六輔は「障害者問題と取り組んだ地味な番組だったが9年間続きこの仕事には脱帽する」「この番組の九は北海道だけの九だった」と評価している[12]

9月23日にはSTVホールで坂本と同行者の小宮勝広マネージャーの合同追悼式「坂本九さんをしのぶ会」を実施、STVや社会福祉関係者が発起人となり妻の柏木由紀子・長女の大島花子・次女の大島舞子や小宮マネージャーの妻が出席し[13]、1963年からのビデオ上映や福祉施設利用者を交えたコンサート[14]、STV山本達雄社長から柏木への感謝状授与、最後に参列者全員での「上を向いて歩こう」の合唱を行い[13]、9月29日の最終回ではこれまでの番組内容の総集編と合わせ追悼イベントの様子を放送した[14]。最終回のサブタイトルは「あの笑顔・あのふれ愛・九ちゃんアリガトウ」。番組内では、「坂本9時から9年間放送した番組」と9のつながりのコメントがあった。この他同年の『24時間テレビ』も例年通り坂本がSTVローカルの司会を務める予定だったが、事故により実現せずSTVアナウンサーが担当[11]。事故から2週間後の放送ではSTVホールの舞台に坂本の遺影が置かれ[13]、エンディングの全国中継ではホールの出演者・ボランティア・観客全員で黙祷を捧げ、冥福を祈った。

2015年(平成27年)3月26日ABCテレビビーバップ!ハイヒール」で各地の記念館がテーマとなった回にて、北海道栗山町の坂本九思い出記念館も紹介された。その際、設立経緯が本番組の取材にあるとしてロケ時の再現ドラマが流れたほか、本番組の実際の放送映像も一部放送された。

主題歌[編集]

終了時の出演者[編集]

メイン司会
坂本九
アシスタント
宇都宮庸子

スタッフ[編集]

ラジオ版[編集]

ふれあい広場・サンデー九
ジャンル 情報番組
放送方式 生放送
放送期間 2011年(平成23年)4月8日 - 2014年(平成26年)3月28日
放送時間 金曜16:00 - 16:15(2011年4月 - 2013年3月)
木曜16:00 - 16:15(2013年4月 - 2014年3月)
放送局 STVラジオ
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「坂本九ふれあい記念館」を運営する栗山町の知的障害者授産施設「ハローENJOY」代表の橘文也らが中心となり、上記のテレビ番組を引き継ぐラジオ番組として[15]2011年(平成23年)4月8日よりSTVラジオにて、同名タイトルで復活した。当初は『牧とのりおのスーパースクランブル』に内包され、毎週金曜16時 - 16時15分に放送された。2013年(平成25年)4月から『どさんこラジオ』に内包されてからは、毎週木曜16時 - 16時15分に変更され、2014年(平成26年)3月28日に放送終了した。

当番組も社会福祉をテーマにしており、北海道社会福祉協議会の協力により制作された。毎回、福祉に関わる道内の団体や事業所を紹介する内容となっており、取材先からのレポートや、関係者をゲストに招いてのトークが行われていた。

坂本九の長女の大島花子[15]、次女の舞坂ゆき子、妻である柏木由紀子も不定期にゲスト出演し、たびたび取材先でのレポーターも務めていた。

脚注[編集]

  1. ^ a b 札幌テレビ放送社史編纂委員会 編『札幌テレビ放送二十年史』札幌テレビ放送、1978年12月25日、758頁。NDLJP:12275336/401 
  2. ^ a b 北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)10月3日付朝刊、テレビ欄。
  3. ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1985年(昭和60年)9月29日付朝刊、テレビ欄。
  4. ^ a b 坂本九思い出記念館が1周年福祉にかけた9年間 九ちゃんの熱意息づく - 北海道新聞1994年8月30日夕刊8-9面
  5. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)10月 - 1985年(昭和60年)9月、テレビ欄。
  6. ^ 札幌テレビ放送社史編纂委員会 編『札幌テレビ放送二十年史』札幌テレビ放送、1978年12月25日、367-368頁。 
  7. ^ 「福祉番組STV出演はボクのライフワーク」『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第26号、北方圏センター、1979年1月1日、120 - 121頁、NDLJP:2832842/61 
  8. ^ 日本民間放送連盟(編)「制作ノートから 行動する番組づくりをモットーに ふれあい広場」『月刊民放』第12巻第10号、日本民間放送連盟、1982年10月1日、35 - 37頁、NDLJP:3470962/18 
  9. ^ a b 坂本九さん安らかに遺体悲しみの帰宅日航機事故泣き崩れる由紀子夫人 - 北海道新聞1985年8月17日夕刊13面
  10. ^ 123便悲劇の墜落航路 九ちゃん乗っていた - 北海道新聞1985年8月13日夕刊23面
  11. ^ a b 坂本九さんをしのぶSTV 18日のサンデー九 - 北海道新聞1985年8月16日夕刊
  12. ^ 土曜直曲-北海道新聞2018年8月18日夕刊1面
  13. ^ a b c 突然の坂本九さんの訃報!「サンデー九」の終焉 - 札幌テレビ放送50年の歩み(札幌テレビ放送)158頁
  14. ^ a b 坂本九さんをしのぶ会23日に札幌で - 北海道新聞1985年9月18日夕刊
  15. ^ a b 九ちゃんの笑顔今も道内に - 北海道新聞2011年8月11日夕刊
札幌テレビNNN 日曜 9:00 - 9:30
前番組 番組名 次番組
佐藤愛子のがんばり人生
(1975年10月5日 - 1976年9月26日)
ふれあい広場・サンデー九
(1976年10月3日 - 1985年9月29日)
おはよう訪問
(1985年10月6日 - 1986年3月30日)
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