エディソン・バリオス

エディソン・バリオス
Edison Barrios
横浜DeNAベイスターズ時代
(2018年5月18日 ZOZOマリンスタジアムにて)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アラグア州ビヤ・デ・クラ
生年月日 (1988-10-11) 1988年10月11日(36歳)
身長
体重
185 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年
初出場 NPB / 2013年8月18日
最終出場 NPB / 2019年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
派遣歴

エディソン・エルネスト・バリオス・カスティーヨ(Edison Ernesto Barrios Castillo、1988年10月11日 - )は、ベネズエラ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

日本プロ野球(NPB)における連続試合ホールド記録の保持者。

経歴

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パイレーツ時代

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2006年ピッツバーグ・パイレーツに入団し、傘下のマイナーリーグルーキー級・ベネズエラン・サマーリーグ・パイレーツで3年間プレーした。いずれの年度も防御率は1点台だった[1]

ベネズエラ時代

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2009年からはベネズエラのウィンターリーグリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル)に2年連続参加して数試合登板したが目立った成績は残せなかった[1][2][3]

関西独立リーグ 神戸サンズ時代

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2011年は同年度から関西独立リーグへ参入した神戸サンズに同年より入団して4月24日にチームに合流した[4]。主に先発でプレーし[5]、前期は最多勝利・ベストナインを獲得してチームを優勝に導いた[6]。防御率はリーグ4位の1.66だった。

ソフトバンク時代

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2011年シーズン途中の7月29日に福岡ソフトバンクホークスが獲得を発表した[1]。7月31日にヤンシー・ブラゾバンと共に入団会見を行い、背番号は69に決まった[7]。一軍昇格はなく終わり、二軍では8月にわずか3試合の登板で防御率は7.50に終わり、9月以降は三軍で出場した。オフの12月2日に一旦自由契約となった[8]。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加して中継ぎ7回2/3イニングで防御率3.52だった[9]

2012年1月18日に育成選手として再契約し、背番号は142となった[10]。3月20日の二軍公式戦の開幕戦で6回を無失点に抑えて勝利投手となったが[11]、右肘の故障が発覚し、6月6日に右肘関節内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた[12]。シーズンをリハビリに費やし、同年の登板は二軍は前述の1試合のみ、三軍も2試合に終わった[13]。10月31日、規約に基づき一旦自由契約公示された[14]

2013年も引き続き育成選手として契約を更新した[15]。13か月のリハビリを終え[16]、7月10日に二軍公式戦に復帰した[17]。7月末の支配下登録期限前に5枠の空きがあった点と高山郁夫投手コーチの強い推薦があり[18]、期限直前の試合でも先発無失点と好投した事から[19]、7月31日に支配下登録されて背番号は7に決まった[16]。空き番号の関係から投手としては異例の1桁となった[20]。ホークスで投手が背番号7をつけるのは1947年岩本信一以来である[21]。8月18日に出場選手登録され一軍へ昇格し、同日の対北海道日本ハムファイターズ戦(帯広の森野球場)でNPB初登板・初先発を果たし、中田翔にソロ本塁打を許したが5回を7安打2失点と粘りNPB初勝利を挙げ、ヒーローインタビューを受けた[22][21]。8月25日の対埼玉西武ライオンズ戦でも勝利し、育成出身で初登板・初勝利からの連勝はNPB史上初の記録となった[23]。次の試合では球数がかさみ4回途中で降板して9月4日に二軍降格となった。9月20日に一軍へ合流したが、右腕に張りが出て東浜巨に登板機会を譲った[24]。最終的に3試合で2勝を挙げたが、80球前後の投球数制限が設けられていた為[21]、全て5イニング以下で降板した。12月17日に背番号が67に変更された[25]

2014年はシーズン前にデニス・サファテジェイソン・スタンリッジブライアン・ウルフ李大浩バーバロ・カニザレスと大型補強がなされたが、バリオスには1月下旬まで知らされていなかった[26]。オフのトレーニングで肘は回復したが[27]、春から腰痛や右肩痛を発症して7月まで三軍とリハビリ組を行き来していた[28]。7月25日に一軍へ昇格し、大差からの登板で2試合リリーフ登板したものの好結果は得られず、8月8日に二軍降格となった。外国人枠の問題もあったが、8月以降は二軍公式戦でも投げず、三軍でシーズンを終えた。オフの11月5日に球団から退団が報告された[29]。母国のウィンターリーグに参加し、6試合に出場し(先発1試合)、防御率3.46、WHIP2.08だった[30]

2015年1月6日に再び育成選手として契約を締結したと球団が発表し、背番号は142に戻った[31]。前年のセットアッパー五十嵐亮太と新外国人リック・バンデンハークが出遅れ、同年からの新投手コーチ・佐藤義則から球速と制球、中継ぎ適性を評価され[32]オープン戦8試合では勝ちパターンのリリーフとして自責1、防御率1.04と好成績を挙げたため[33][34]、3月24日に支配下登録(3度目)され、背番号は65に変更された[35][36]。開幕を一軍で迎え、開幕2戦目の3月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ヤフオク!ドーム)で2点リードの8回から登板し、1イニングを3者凡退に抑えてNPB初ホールドを記録し[37]工藤公康・新監督の初勝利にも貢献した[38]。以降は主にリードした展開の8回を担当し[39]、3月28日から5月20日までの17試合に登板し、藤川球児(2005年)の持つNPB記録17試合連続ホールドに並んだ[40](その間5月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で13試合のパ・リーグ新記録を更新した[41])。しかし、18試合目となる5月22日の対日本ハム戦の8回2点リードから登板すると中田翔に同点ツーランホームランを打たれ、新記録達成とはならなかった[42]。その後は6月2日の対横浜DeNAベイスターズ戦では髙谷裕亮捕逸で救援失敗して敗戦投手になり[43]、6月19日[44]、6月24日にも同様に失敗し[45]、10試合で先発投手の勝ち星を4度消す背信投球を行った(セーブ失敗[46]。その間6月23日の対西武戦では7回1点リードで登板して無失点に抑えた後の8回表に降雨コールドゲームとなりNPB初セーブを記録した[47]。6月26日に中継ぎ部門のファン投票1位(2位増田達至と1020票差)となりオールスターゲームへの選出が発表された[48][49]。しかし、2015年7月16日に出場を辞退することが発表された。

2016年は不調で11試合登板、2敗3ホールド、防御率も7点台に終わる。二軍では25試合登板、1勝1敗2セーブ、防御率2.59の成績を収めた。10月24日、球団から退団が発表された。

BCリーグ 富山時代

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2017年3月6日、BCリーグ富山GRNサンダーバーズに入団した[50]

DeNA時代

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2017年11月10日、横浜DeNAベイスターズとの契約合意が球団から発表された[51]。年俸2000万円(推定)[51]、背番号は42

2018年は4月7日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)で先発として移籍後初勝利を飾った。シーズン終了時点で打線の援護に恵まれず、2勝しか記録できなかったものの、防御率3.33・WHIP1.19など先発及びリリーフとして存在感を示した。

2019年はシーズン開幕から不調が続き、二軍でも不安定な投球が続いた。一軍ではわずか3試合の先発のみに終わった。シーズン終了後には球団から翌2020年の契約を見送る旨を通告された。

メキシカンリーグ時代

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2020年4月2日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルメキシコシティ・レッドデビルズと契約[52]。しかし、COVID-19の影響でシーズン中止となったため[53]、公式戦での出場は無かった。9月7日にFAとなった。

プレースタイル

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神戸サンズ時代はストレートの最高球速148km/h、平均球速146km/hだった[1]。ソフトバンク移籍後の二軍初登板で最速152km/hを記録した[54]。また直球はフォーシームとツーシームを使い分け、内角を突く強気な投球である[19][21]。2015年の5月に工藤公康監督は日本人のような下半身の使い方ができるため球速以上に速く感じると評価した[55]

変化球はNPB移籍前はスライダーカーブチェンジアップを投げており[1]、NPB移籍後にフォークを磨き、カットボールを新たに覚えた[19][21]ナックルカーブもある[56]

2012年のキャンプで秋山幸二監督から投球が単調と評された[57]

人物

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ベネズエラ時代にアレックス・カブレラの息子とバッテリーを組んでおり、アレックスとはソフトバンクでの同僚となった[58]

母国では食用として飼育されているカピバラを特別な日に食べる習慣があり、好物だった[59][21]。味はアリゲーターワニ)に近いと述べている[60]

福岡移住後も、移籍初年度は神戸サンズのスタッフに毎日のように電話をかけていた[61]

オフはかつて自身が所属した母国の自宅近くにある野球アカデミーで練習を行っている[27]

西戸崎寮では通訳を置かず若手選手から熱心に日本語を学び、平仮名を読めるレベルに達した[23][39]。ヒーローインタビューなどではスペイン語なまりの英語で話す[62]

王貞治球団会長とはキャンプの時に毎年食事を共にし、野球への考え方や多くの経験を聞き、糧としている。また連続ホールド日本記録に並んだ日が王の誕生日だったため、日本語でメッセージを送った[55][63]

2015年5月22日から6月24日までに4度ホールドに失敗した際、先発ローテーションから攝津正、大隣憲司と2人の先発が離脱し、先発の外国人バンデンハークが防御率2.08、2勝0敗と好投したにもかかわらず、工藤公康監督は「投球内容が悪くなったわけじゃない。(バリオスの再調整は)考えていない。今までの働きを考えると守ってあげられるようにしたい」と発言し、登録を抹消しなかった[64][65]

家族

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トミー・ジョン手術は家族を母国に置いたまま日本で行った[39]。2013年7月の支配下登録後に寮を出て妻、1歳の息子エディソン(Edixon)と生活を開始した[21]

父はボンゴセミプロでいとこがプロのトランペット奏者、おじ2人もティンバレスサックスのプロ奏者という音楽一家である。自身もボンゴやドラムが得意であり、野球を辞めたら音楽を学びたいと述べている[66]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2013 ソフトバンク 3 3 0 0 0 2 1 0 0 .667 63 13.2 18 1 5 0 1 8 2 0 7 7 4.61 1.69
2014 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 2.2 3 0 2 0 0 3 0 0 1 1 3.38 1.88
2015 30 0 0 0 0 0 2 1 20 .000 152 34.0 37 1 16 2 3 34 1 1 15 12 3.18 1.56
2016 11 0 0 0 0 0 2 0 3 .000 60 12.2 20 1 5 2 0 16 1 1 11 11 7.82 1.97
2018 DeNA 14 10 0 0 0 2 5 0 0 .286 228 54.0 52 1 12 0 2 39 2 1 23 20 3.33 1.19
2019 3 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 66 14.2 12 0 10 1 2 11 0 0 8 7 4.30 1.50
通算:6年 63 16 0 0 0 5 12 1 23 .294 581 131.2 142 4 50 5 8 111 6 3 65 58 3.96 1.46
  • 2021年度シーズン終了時

記録

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NPB

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初記録
その他の記録
  • 17試合連続ホールド:2015年 ※藤川球児と並ぶNPBタイ記録

独立リーグでの投手成績

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W
H
I
P
2011 神戸 9 6 1 0 .857 202 48.2 37 0 22 1 38 3 1 14 9 1.66 7.03 1.23
2017 富山 18 10 4 0 .714 386 97.1 73 1 29 5 103 6 0 18 15 1.39 9.52 1.05
通算:2年 27 16 5 0 .762 588 146.0 110 1 51 6 141 9 1 32 24 1.48 8.69 1.10

背番号

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  • 34(2011年 - 同年7月28日、2017年)
  • 69(2011年7月29日 - 同年終了)
  • 142(2012年 - 2013年7月30日、2015年1月7日 - 同年3月23日)
  • 7(2013年7月31日 - 同年終了)
  • 67(2014年)
  • 65(2015年3月24日 - 2016年)
  • 42(2018年 - 2019年)

脚注

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  1. ^ a b c d e エディソン・バリオス選手の入団について”. 福岡ソフトバンクホークス (2011年7月29日). 2011年7月29日閲覧。
  2. ^ Statistics Tiburones de La Guaira 2009年度成績 Winter Leagues Liga Venezuela Beisbol Profesional Statistics MLB.com
  3. ^ Statistics Tiburones de La Guaira 2010年度成績 Winter Leagues Liga Venezuela Beisbol Profesional Statistics MLB.com
  4. ^ 来日 2011年04月24日 サンズオフィシャルブログ
  5. ^ ブラゾバン投手とバリオス投手が入団会見。秋山監督「早く力になってほしい」 2011年7月31日配信 選手ニュース 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
  6. ^ カンドク2011   前期リーグ最優秀選手、優秀選手
  7. ^ 【ソフトB】ブラゾバン、バリオス入団会見 2011年7月31日 日刊スポーツ
  8. ^ チェンら122人が自由契約に 2011年12月2日 日刊スポーツ
  9. ^ Statistics Tiburones de La Guaira 2011年度成績 Winter Leagues Liga Venezuela Beisbol Profesional Statistics MLB.com
  10. ^ ソフトバンク バリオスが育成選手に 2012年1月18日スポニチ
  11. ^ 2012年3月20日 【ファーム】 試合結果 (福岡ソフトバンクvsオリックス)
  12. ^ 【ソフトB】育成バリオス、新人塚田手術”. nikkansports.com (2012年6月6日). 2012年10月29日閲覧。
  13. ^ 3軍投手成績(ホークス) 2012年シーズン終了時 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
  14. ^ 2012年度 自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構オフィシャルサイト (2012年10月31日). 2012年11月1日閲覧。
  15. ^ 【ソフトB】新助っ人ラヘア「自信ある」 2013年1月29日 日刊スポーツ
  16. ^ a b バリオス投手を支配下登録「一日も早く、新しい背番号でプレーしたい」 2013年7月31日配信 選手ニュース 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
  17. ^ 2013年7月10日 【ファーム】 試合結果 (福岡ソフトバンクvs阪神)
  18. ^ 秘密兵器 右腕バリオス 左腕飯田優 支配下登録へ 2013年7月22日 西日本スポーツ
  19. ^ a b c バリオス支配下確実 2軍竜戦で5回3安打0封 2013年7月26日 西日本スポーツ
  20. ^ バリオス投手“異例”の背番号7 2013年7月31日 東スポWeb
  21. ^ a b c d e f g カピバラ食べるソフトBバリオスが初勝利 2013年8月19日 日刊スポーツ
  22. ^ 【ソフトB】バリオス初登板初先発で1勝 2013年8月18日 日刊スポーツ
  23. ^ a b バリオス連勝 育成初登板からは史上初 2013年8月26日 日刊スポーツ
  24. ^ ソフトB東浜やっとプロ1勝「喜びない」 2013年9月24日 日刊スポーツ
  25. ^ 【ソフトB】オセゲラ背番14→59 2013年12月17日 日刊スポーツ
  26. ^ 【ソフトB】バリオス、補強知らなかった 2014年1月21日 日刊スポーツ
  27. ^ a b バリオス イイトコドリ 新助っ投トリオ 飛躍の研究材料に 2014年1月23日 西日本スポーツ
  28. ^ ソフトB2軍助っ人「親子ゲーム」で発奮 2014年7月8日 日刊スポーツ
  29. ^ 退団のお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス公式サイト (2014年11月5日). 2015年3月24日閲覧。
  30. ^ Statistics Tiburones de La Guaira 2014年度成績 Winter Leagues Liga Venezuela Beisbol Profesional Statistics MLB.com
  31. ^ 育成選手契約締結について”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2015年1月6日). 2015年3月24日閲覧。
  32. ^ ソフトB五十嵐開幕微妙でバリオス支配下ある 2015年3月6日 日刊スポーツ
  33. ^ 2015年度 福岡ソフトバンクホークス 個人投手成績(オープン戦)
  34. ^ ソフトバンク バリオスを支配下登録、戦力外→育成からはい上がる 2015年3月24日スポニチ
  35. ^ E・バリオス選手の支配下選手契約について”. 福岡ソフトバンクホークス公式サイト (2015年3月24日). 2015年3月24日閲覧。
  36. ^ ソフトBバリオスが支配下契約「とにかくうれしい」”. nikkansports.com (2015年3月24日). 2015年3月24日閲覧。
  37. ^ a b “バリオス、人生初ホールド”. 西日本スポーツ (西日本新聞). (2015年3月29日). http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/159158 2015年3月30日閲覧。 
  38. ^ ソフトB工藤監督「手に汗止まらなかった」初勝利 2015年3月28日 日刊スポーツ
  39. ^ a b c 「8回の男」バリオス投手がリーグ新記録を樹立 2015年5月9日配信 選手ニュース 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
  40. ^ ソフトBバリオス、ホールド日本タイも「関係ない」 2015年5月20日 日刊スポーツ
  41. ^ ソフトBデホ&松田連弾で逆転勝ち バリオスはパ新13連続ホールド 2015年5月9日スポニチ
  42. ^ ソフトBサヨナラ首位陥落 7回一挙5点逆転も 2015年5月23日 日刊スポーツ
  43. ^ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2015年6月2日
  44. ^ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2015年6月19日
  45. ^ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2015年6月24日
  46. ^ 5月22日攝津正、6月2日大隣憲司、6月19日中田賢一、6月24日ジェイソン・スタンリッジ
  47. ^ a b エキサイトベースボール | プロ野球速報 | 6月23日(火) 西武 vs ソフトバンク(試合詳細)
  48. ^ 【パ喜びの声】ハム中田「ワイワイした雰囲気を楽しみたい」 2015年6月27日スポニチ
  49. ^ マツダオールスターゲーム2015 ファン投票結果
  50. ^ [1]
  51. ^ a b DeNAがソトとバリオスを獲得 ともに1年契約 - プロ野球”. 日刊スポーツ (2017年11月10日). 2018年7月27日閲覧。
  52. ^ 前DeNAバリオス、メキシコリーグに入団 球団はリリーフとして期待、開幕は5月に延期”. Full-Count (2020年4月3日). 2020年10月4日閲覧。
  53. ^ Comunicado Oficial LMB” (スペイン語). MiLB.com (July 1, 2020). October 24, 2021閲覧。
  54. ^ ブラゾバン投手とバリオス投手が初登板。ともに快速球を披露! 2011年8月7日配信 選手ニュース 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
  55. ^ a b バリオス投手日本記録並んだ! 17連続ホールド 2015年5月21日配信 選手ニュース 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
  56. ^ バリオス17連続H プロ野球記録に王手 2015年5月18日 西日本スポーツ
  57. ^ ソフトBペーニャ助言効果で2安打&激走 2012年2月26日 日刊スポーツ
  58. ^ ソフトバンク新外国人 カブレラの息子とバッテリーを組んでいた 2011年7月30日スポニチ
  59. ^ ソフトBバリオス 今日も勝って3連勝だ 2013年9月3日 日刊スポーツ
  60. ^ ソフトBのバリオス プロ初登板初勝利 好物は動物園の人気者 2013年8月19日スポニチ
  61. ^ 祝ソフトバンク! 2011年08月02日サンズオフィシャルブログ
  62. ^ 開幕から17戦連続ホールド!バリオス「チームのため投げている」 2015年5月20日スポニチ
  63. ^ 鷹、王会長誕生日に再奪首!バリオスが球児に並ぶ17戦連続H 2015年5月21日SANSPO.COM
  64. ^ 工藤監督バリオス乱調も信頼 再調整「考えてない」 2015年6月24日 日刊スポーツ
  65. ^ ソフトB 連勝5でストップ  バリオス乱調で逆転負け 2015年6月25日スポニチ
  66. ^ ソフトBバリオス意外!?に音楽一家だった 2014年1月30日 日刊スポーツ
  67. ^ ゲームレポート | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2013年8月18日

関連項目

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外部リンク

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