オリエント時計
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | オリエント |
本社所在地 | 日本 〒160-8801 東京都新宿区新宿四丁目1番6号 JR新宿ミライナタワー29階 |
設立 | 1950年(昭和25年)7月13日 |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 4010001008657 |
事業内容 | 時計およびプリンタ用部品の製造 |
代表者 | 代表取締役社長 高橋 章治 |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 単独:186億79万円 連結:307億1,301万円 (2008年3月期) |
純利益 | 1,661万3,000円 (2024年3月期)[1] |
総資産 | 8億8,985万1,000円 (2024年3月期)[1] |
従業員数 | 単独:217名 連結:530名 (2016年6月30日時点) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | セイコーエプソン株式会社(100%) |
主要子会社 | ユーティーエス |
関係する人物 | 吉田庄五郎 |
外部リンク | http://www.orient-watch.jp/ |
オリエント時計株式会社(オリエントどけい[2])は、東京都新宿区に本社を置く日本の企業である。2017年3月31日まではセイコーエプソン(以下、エプソン)の機能子会社で、連結事業として腕時計の製造、販売を行っていた。同年4月1日付を以て親会社のエプソンに事業統合され、以降はエプソンの腕時計のブランド(ORIENTブランド)として機能している。
概要
[編集]かつてはウォッチ専業メーカーであったが、プリンタ事業や電子機器事業に進出し、2008年3月期には連結売上高の7割近くが時計以外の事業によるものとなっていた。エプソンによる完全子会社化によりプリンタ事業や電子機器事業が分離されてからは、再びウォッチ専業となっていた。
ウォッチの分野では、機械式腕時計が全盛だった1970年代前半まで、独特のセンスによる極端に個性的で強烈なデザイン[3][4][5]の腕時計を世に送りだしていた。1970年代にはクォーツ時計の比率を高め、アラーム腕時計「デジタル三世」、低価格腕時計「デジタルエース」などのヒット商品を生みだした。一時は機械式時計の開発を行わなくなったが、1990年代末には機械式時計ブランドの「オリエントスター」を復活させた。安価だが比較的精度の高い機械式ムーブに特徴のあるデザインや、ぜんまい残量を示すリザーブメーターを付けた事から次第に売り上げを伸ばし、2000年代前半には普及機から高級機まで機械式時計のラインナップを揃えた。2004年(平成16年)には1960年代の薄型自動巻ムーブを元に新規の自動巻ムーブを開発し、フラッグシップブランドである「ロイヤルオリエント」を復活、2007年(平成19年)時点では比較的単価の高い機械式時計が主力商品となっており、クォーツの比率は低くなっている。
1978年(昭和53年)にはクロックメーカーの東京時計製造を買収し、クロック分野に進出したが、後に撤退している。
1980年代はイメージキャラクターに女性アイドル歌手や女性タレントなどを起用しており、岩崎良美、中森明菜、Wink、山田邦子らがテレビCMに出演していた。
2017年(平成29年)4月1日に販売部門はエプソン販売へ、その他部門はエプソンに統合された[6]。オリエント腕時計の部品製造や組み立ては、秋田エプソン(旧・秋田オリエント精密)の本社工場で行われている[7]。
沿革
[編集]東洋時計株式会社
[編集](時計の小売販売事業を行っている東洋時計株式会社(1931年創業)とは別会社。)
- 1920年(大正9年) - 東洋時計製作所として設立され、置時計の製造を始める。
- 1934年(昭和9年) - 腕時計の製造を始める。
- 1936年(昭和11年) - 南多摩郡日野町(後の日野市)に工場を新設する。
- 戦時中 - 商号を変更し東洋兵器工業株式会社となる。後に東洋時計株式会社へと商号変更する。
- 1946年(昭和21年) - 労働争議(東洋時計上尾争議)が勃発。暴力団が介入する中で1名が死亡[8]、100名以上[9]が負傷する。
後に東洋時計は事業を停止する。
オリエント時計株式会社
[編集]- 1950年(昭和25年) - 多摩計器株式会社として東京都南多摩郡日野町にて設立される。東洋時計の日野工場を借り受け、腕時計などの製造を始める。
- 1951年(昭和26年) - 商号をオリエント時計株式会社に変更する。機械式腕時計「オリエントスター」発売。
- 1952年(昭和27年) - 借り受けていた日野工場が公売にかけられたため、これを落札して自社所有とする。
- 1953年(昭和28年) - 本店を東京都中央区へ移転する。
- 1956年(昭和31年) - 東京都本店を千代田区へ移転する。
- 1961年(昭和36年) - 東京証券取引所第2部(現・スタンダード)に上場する。
- 1976年(昭和51年) - イメージキャラクターに千葉真一を起用したCMや広告を展開し始める。
- 1978年(昭和53年) - 東京時計製造株式会社の株式を過半数取得し、子会社とする。
- 1981年(昭和56年) - 子会社として羽後時計精密株式会社(後の株式会社ユーティーエス)を設立する。
- 1984年(昭和59年) - 東京時計製造を清算する[10]。
- 同年 - エプソンとの合弁により株式会社ソーテックを設立[11]し、IC組立事業に進出する。
- 1986年(昭和61年) - 子会社として秋田オリエント精密株式会社を設立する。
- 1997年(平成9年) - エプソンに対する第三者割当増資を行い、同社が筆頭株主となる。
- 1998年(平成10年) - 株式会社ソーテックをエプソンへ譲渡する。
- 2001年(平成13年) - 本社を千代田区の本店所在地へ移転し、日野事業所から撤退する。エプソンに対する第三者割当増資を行い、52%の株式を取得した同社が親会社となる。旧日野事業所は同社が引き取った。
- 2003年(平成15年) - 3期連続で債務超過の状態が続いたため、東証2部を上場廃止となる。グリーンシート銘柄として登録される。
- 2008年(平成20年) - エプソンが株式公開買い付けを実施。
- 2009年(平成21年) - エプソンの機能子会社となる。グリーンシート銘柄登録取消および上場廃止。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 販売部門はエプソン販売へ、その他部門はエプソンに統合され、企業としてのオリエント時計は事実上の休眠会社となる。
関連企業
[編集]一部のみを記載する。
秋田オリエント精密株式会社(現・秋田エプソン株式会社)
[編集]オリエント時計の子会社であった。かつては腕時計用ムーブメントなどを生産していたが、後にプリンタ部品、水晶振動子の加工、組立が主たる事業となった。2009年(平成21年)4月1日、オリエント時計からエプソンへの株式譲渡により、エプソンの直接子会社となった。同日付けで秋田エプソン株式会社に商号変更。本社は秋田県湯沢市。
沿革
[編集]- 1986年(昭和61年) - 設立される。
- 1999年(平成11年) - 株式会社ユーティーエスから時計事業を譲受する。
- 2003年(平成15年) - オリエント時計へ時計事業を譲渡する。
- 2009年(平成21年) - 秋田エプソン株式会社に商号変更。
株式会社ユーティーエス
[編集]オリエント時計の子会社で、シリコンウェハーの加工を主たる事業としていた。更に以前は腕時計の地板、ケース、バンドなども生産していた。本社は秋田県雄勝郡羽後町であった。2017年4月1日付で秋田エプソン株式会社と合併し消滅。
沿革
[編集]- 1981年(昭和56年) - 羽後時計精密株式会社として設立される。
- 1986年(昭和61年) - 商号を株式会社ユーティーエスに変更する。
- 1999年(平成11年) - 秋田オリエント精密株式会社へ時計事業を譲渡する。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 秋田エプソン株式会社と合併し消滅。
脚注
[編集]- ^ a b オリエント時計株式会社 第99期決算公告
- ^ 東洋経済新報社『会社四季報 未上場会社版 2007年下期』には「オリエントどけい」と記載されている。一方、日本経済新聞社『会社総鑑 2005年版 上巻 未上場会社版』 ISBN 978-4-532-21065-6 などには「おりえんととけい」と記載されている。
- ^ 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25頁より。機械式腕時計のムーブメントで(本来は軸受として)使われる宝石個数が時計のグレード評価目安になっていた1960年代、実用上20石台で十分なところ、装飾以外の意味がない石まで大量に埋め込んだ「100石」「64石」という相当に異様な仕様の高級腕時計「グランプリ」を送り出した(当時のセイコー、シチズンでも最多で39石程度だった)。
- ^ 1960年代後期に発売されたダイバーズウォッチ「キングダイバー1000」は1000m防水を称した製品だが、ケースこそ二重構造であるものの、通常の大深度用防水腕時計に使われているねじ込み式竜頭を採用しておらず、実際に1000m防水の性能があったのか疑問視されている。
- ^ アナログ腕時計のダイヤル面に1ヶ月分の日付表を印字し、窓開けした曜日パネルを回転させることで簡易に万年カレンダーとして機能させるモデル(通称「万カレ」)は、古くから2014年時点に至るまで同社の代表的な名物シリーズである(ダイヤル面のデザインは良くも悪くもきわめてアンバランスなものとなる。他メーカーで真似する事例はほとんどない)。以上のように、あまりに個性的で珍品じみた製品が多いのも特徴である。
- ^ セイコーエプソン. “オリエント時計の事業再編に関する検討開始について”. 2016年10月3日閲覧。
- ^ 秋田エプソン、6億円かけ新工場 時計を一貫生産 日本経済新聞、2019年6月5日
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、356頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ ただし負傷者数は、当事者発表の人数を足し合わせたもの。法政大学大原社会問題研究所編著『日本労働年鑑 第22集』より。
- ^ 『日経産業新聞』1984年4月14日6面、1984年11月19日9面、1985年1月7日9面より。ただし、オリエント時計株式会社 有価証券報告書には、1983年(昭和58年)に清算された旨が記載されている。
- ^ 株式会社ソーテックは1984年(昭和59年)12月に日野市で設立された。1984年(昭和59年)4月に横浜市で設立されたパソコン専業メーカー「株式会社ソーテック」とは異なる企業である。
参考文献
[編集]- オリエント時計株式会社 第83期 有価証券報告書、2008年。
- オリエント時計株式会社 第54期 有価証券報告書総覧、大蔵省印刷局、1979年。
- 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25-26頁。ISBN 978-4-88716-107-8