グレアム・テイラー
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Graham Taylor | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1944年9月15日 | |||||
出身地 | ワークソップ | |||||
没年月日 | 2017年1月12日(72歳没) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1962-1968 | グリムズビー・タウン | 189 | (2) | |||
1968-1972 | リンカーン・シティ | 150 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
1972-1977 | リンカーン・シティ | |||||
1977-1987 | ワトフォード | |||||
1987-1990 | アストン・ヴィラ | |||||
1990-1993 | イングランド | |||||
1994-1995 | ウルヴァーハンプトン | |||||
1996 | ワトフォード | |||||
1997-2001 | ワトフォード | |||||
2002-2003 | アストン・ヴィラ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
グレアム・テイラー OBE(英語: Graham Taylor、1944年9月15日 - 2017年1月12日)は、イングランド・ワークソップ出身の元サッカー選手でサッカー指導者。1990年から1993年にかけてイングランド代表監督を務めていた[1][2]。
経歴
[編集]現役時代はグリムズビー・タウンFCとリンカーン・シティFCでプレーした。引退後はアストンヴィラFCなどの監督を務めた。
1990年のワールドカップ終了後にイングランド代表監督に就任した。1992年のユーロの出場権を得たが、スウェーデン戦では決勝トーナメント進出にどうしても1点が必要な場面にも関わらず[2]、エースストライカーのゲーリー・リネカーを途中交代をさせる不可解な采配を採り[2]、グループリーグ敗退した[2]。1993年のワールドカップ予選では得失点差で大会出場を逃して辞任した[1]。選手の選り好みが激しく[3]、所属クラブで活躍していて、イングランド国内でも召集すべきであるとの声が高かったクリス・ワドルや[4][5]、ピーター・ベアズリー[3]といった選手たちを招集しなかった。
脚注
[編集]- ^ a b “Graham Taylor: Ex-England, Watford & Aston Villa manager dies aged 72” (英語). BBC (2017年1月2日). 2022年3月8日閲覧。
- ^ a b c d “Ranked! EVERY England manager from worst to best” (英語). FFT (2019年9月9日). 2022年3月8日閲覧。
- ^ a b “Football: Taylor's axe falls on Mark Wright: No England recall for Beardsley and Waddle while Gascoigne has to prove himself” (英語). インデペンデント. 2022年3月9日閲覧。
- ^ “Chris Waddle” (英語). Goal. 2022年3月9日閲覧。
- ^ “Football: Waddle ignored as Taylor opts for continuity: Double Dutch the order of the day as England manager resists the popular vote by omitting the man in form from his World Cup squad” (英語). インデペンデント. 2022年3月9日閲覧。