サルバトーレ・ウルソー
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | フロリダ州タンパ |
生年月日 | 1972年1月19日(52歳) |
身長 体重 | 5' 11" =約180.3 cm 193 lb =約87.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1990年 MLBドラフト36巡目 |
初出場 | NPB / 2000年4月1日 |
最終出場 | NPB / 2000年8月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
サルバトーレ・ジュード・ウルソー(Salvatore Jude "Sal" Urso , 1972年1月19日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州[1]出身の元プロ野球選手(投手)。アメリカ時代の登録名はサル・ウルソー。
来歴・人物
[編集]プラント高から1990年のMLBドラフト36巡目でシアトル・マリナーズに入団。傘下のマイナーチームでプレー。
その後、ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックスのマイナーチームでプレーした。メジャー経験は無し。1998年には2A記録となる69試合に登板した[2]。
2000年、広島東洋カープに入団[1]。オーバースローとサイドスローから投げる変則投法で左の中継ぎとして期待されたが、安定した成績を残すことが出来ず1年で退団[1]。
ウルソーの応援歌には顔文字が用いられており、また各節の冒頭をつなぎ合わせると2000年頭に解散したばかりの韓国の極貧球団「サンバンウル」になるとして静かなブームとなった。この応援歌は応援団の公式CD「広島東洋カープ選手別応援歌 2000」に嶋田トオルによって歌唱されたものが収録されており、歌詞カードには実際に顔文字が歌詞の一部として書き記されている。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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2000 | 広島 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | .000 | 97 | 18.0 | 25 | 2 | 16 | 1 | 3 | 12 | 2 | 3 | 20 | 16 | 8.00 | 2.28 |
通算:1年 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | .000 | 97 | 18.0 | 25 | 2 | 16 | 1 | 3 | 12 | 2 | 3 | 20 | 16 | 8.00 | 2.28 |
- 年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- NPB
- 初登板:2000年4月1日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、6回裏に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:2000年4月2日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、7回裏に松井秀喜から
- 初セーブ:2000年4月21日、対読売ジャイアンツ4回戦(広島市民球場)、9回表2死に3番手で救援登板・完了、1/3回無失点
背番号
[編集]- 45 (2000年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 サルバトーレ・ウルソー - NPB.jp 日本野球機構