シルバークイーン (初代)
シルバークイーン(初代) | |
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | 日本 韓国 インドネシア |
所有者 | シルバーフェリー |
運用者 | シルバーフェリー |
建造所 | 楢崎造船第800番船 |
母港 | 八戸 |
建造費 | 約12億円[1] |
航行区域 | 沿海[1] |
船級 | JG |
IMO番号 | 7320186 |
経歴 | |
起工 | 1972年9月13日 |
進水 | 1973年1月17日 |
竣工 | 1973年4月[1] |
就航 | 1973年4月25日[2][3] |
運航終了 | 1982年 |
現況 | インドネシアで就航中 |
要目 | |
総トン数 | 3,774 トン[1] |
排水量 | 5,295kt |
全長 | 109.0 m[1] |
垂線間長 | 100.0m |
全幅 | 17.4 m[1] |
型深さ | 6.25 m[1] |
満載喫水 | 4.15m |
機関方式 | ディーゼル |
ボイラー | 川崎重工 V-SR18E |
主機関 | 2基 新潟鉄工 |
推進器 | 1軸 |
出力 | 8,000馬力 |
最大出力 | 4000PS×2[1] |
定格出力 | 3400PS×2 |
最大速力 | 19.7ノット[1] |
航海速力 | 17.0ノット[1] |
航続距離 | 2660NM |
旅客定員 | 520名[4] |
乗組員 | 41名[1] |
車両搭載数 | 9mトラック40台、乗用車50台[4] |
シルバークイーンは、シルバーフェリー(現・川崎近海汽船)が運航していたフェリー。本項目では1973年就航の初代を取り扱う。
概要
[編集]シルバーフェリーの第一船として楢崎造船で建造され、1973年4月25日に就航。船名は公募で決定された[5]。塗装は白地に青とシルバーグレーの二色の線をあしらった[3]。
その後、海外売船され、韓国でDONG YANG EXPRESS FERRY NO.5として就航した。 韓国にて船尾に客室が増設されている。また船体カラーリングは、ファンネルと船体のSilverferryを消しシルバーフェリーカラーリングをそのまま使用していた
2002年に一度日本に帰国し、長崎のハヤシマリンカンパニー経由でインドネシアのPT. DHARMA LAUTAN UTAMAに売却され、KIRANA IIとしてスンダ海峡を連絡する航路に就航している。
航路
[編集]シルバーフェリー
- 八戸港(八太郎地区3号埠頭) - 苫小牧港(苫小牧西港フェリーターミナル)
就航当初は本船のみで1日1便、フェリーはちのへ (初代)の就航後は2隻で2便が運航されていた。
船内
[編集]船内は暖色のインテリアを中心に豪華な客船同様のロビー等を配した[3]。
- 公室[4]
- レストラン
- スナック
- ゲームコーナー
設計
[編集]厳冬の太平洋の荒天を考慮して日本で初めてフィンスタビライザーとタンクスタビライザーによる二重の動揺防止装置を装備し、また1975年完成予定の苫小牧港フェリー専用埠頭への使用を見据えたバウバイザーも備えた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 新船紹介 シルバーフェリー「シルバークィーン」 - 旅客船 102号(日本旅客船協会 1973年)
- ^ 来年四月に第一船 苫小牧-八戸間フェリー運行体制固まる - 北海道新聞1972年12月16日朝刊
- ^ a b c d 北海道新聞1973年4月25日朝刊別刷り特集 ふるさと東北
- ^ a b c 東北⇔北海道スポットライト 落ち着いた船旅・・・シルバー 東日本ホテルとして利用できる ロマンのフェリー定期航路 - 北海道新聞1974年4月25日別刷り特集ふるさと東北
- ^ 輝かしい48年シルバークイーンはなやかに誕生 - 北海道新聞1973年1月1日朝刊第4部ラジオ・テレビ特集1面
外部リンク
[編集]- MarineTraffic.com - KIRANA II - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示