ジャン=ジョゼフ・ペロー
ジャン=ジョゼフ・ペロー Jean-Joseph Perraud | |
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生誕 | 1819年4月26日 フランス、モネ(Monay) |
死没 | 1876年11月2日 (57歳没) フランス、パリ |
ジャン=ジョゼフ・ペロー(Jean-Joseph Perraud、1819年4月26日 - 1876年11月2日[1] )は、フランスの彫刻家である。
略歴
[編集]フランス東部、ジュラ県のモネ(Monay)で生まれた。木彫を学びはじめ、リヨン国立高等美術学校に入学し、美術学校の彫刻部門の一等を受賞した後、パリに出て、パリ国立高等美術学校で、エティエンヌ=ジュール・ラミー(Étienne-Jules Ramey: 1796–1852)やオーギュスト・デュモン(1801-1884)らに彫刻を学んだ[2]。
1847年にレリーフ作品でローマ留学の奨学金が得られるローマ賞を受賞し、5年間ローマで修行した。ローマでは1848年にローマ賞を受賞した建築家のシャルル・ガルニエ(1825-1898)と知り合い、後にガルニエがパリ・オペラ座(ガルニエ宮)の設計コンペで優勝し、1860年ころからガルニエ宮が建設されたとき、ピエール=ジュール・カヴァリエ(1814-1894)やウジェーヌ・ギヨーム(1822-1905)、ジャン=バティスト・カルポー(1827-1875)とともにガルニエ宮のファザードの装飾彫刻を制作することになった。
留学から帰国した後、新古典主義の彫刻家として評価された。1855年のパリ万国博覧会の展覧会で1等のメダルを受賞した。1867年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した[3]。
1876年に亡くなった。ジュラ県のロン=ル=ソーニエ市に作品や美術コレクション、資金を遺贈し、ロン=ル=ソーニエ美術館(Musée des Beaux-Arts de Lons-le-Saunier)などに作品は所蔵されている。
作品
[編集]- ガルニエ宮の彫刻「Lyric Drama」
- ルーヴル美術館のナポレオン広場の天文学者ジェローム・ラランドの像
- チリ、サンティアゴの憲法広場(Plaza de la Constitución)のディエゴ・ポルタレス像
- 「絶望(Desespoir)」
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Max Claudet, Perraud et son œuvre - souvenirs intimes, Paris : Sandoz et Fischbacher, 1877.
- Max Claudet, La jeunesse de Perraud statuaire d'après ses manuscrits, Salins-les-Bains : David Mauvas, 1886.
- Max Claudet, « Notice biographique sur le sculpteur Perraud », La Sentinelle du Jura, 12-17 novembre 1876.
- Henri Delaborde, Notice sur la vie et les travaux de Jean-Joseph Perraud, Paris : Institut de France, 1876.
- « Jean-Joseph Perraud, sculpteur », Le Magasin pittoresque, 48e année, 1880, pp. 159-160 et 262-263. — D'après une notice d'Henri de Laborde, lue à l'Institut.
- Christiane Dotal, Jean-Joseph Perraud (1819-1876) : un sculpteur sous le Second Empire, catalogue raisonné, Éditions Mare et Martin, 2004 (ISBN 978-2849340011).