ジラール家
ジラール家(フランス語:Girardides、ドイツ語:Gerhardiner)またはマットフリーデ家(ドイツ語:Matfriede)[1]は、ヨーロッパでもっとも古くから続く貴族の家系の一つであり、その起源は8世紀にさかのぼることができる。
その家名は時代によって変わり、初期の世代はジラール家(ドイツ語:ゲルハルト家、始祖ジェラール伯から)またはアダラール家(ドイツ語:アダルハルト家、フランク王ルートヴィヒ1世のセネシャルであったアダラール1世から)と呼ばれ、パリ伯やメッツ伯(メス伯)を継承し、カロリング家とはたびたび姻戚関係を築いた。
11世紀半ばはマットフリーデ家(マトフリード家)と呼ばれ、メッツ伯を継承したが、ロレーヌ公となった後はシャトノワ家と呼ばれた。さらに18世紀、ロレーヌ公フランツ3世シュテファンがオーストリア女公マリア・テレジアと結婚した後は、ハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ばれるようになった。
系図
[編集]ジェラール1世 (-779) パリ伯 | ロトルーデ (宮宰カールマンの娘?) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アマルトルーディス | エティエンヌ (754-811) パリ伯 | ベゴン1世 (755/60-816) トゥールーズ伯 パリ伯 | アルパイス (794-852) (フランク王ルートヴィヒ1世娘) | ルタール1世 (760/5-809) フェザンサック伯 パリ伯 | グリムヒルド | ロチルド | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルトラーダ | シュザンヌ =フラヴィニー伯ウルフハルド1世 | ルタール2世 (c.806-858/9) パリ伯 | エベラール (c.808-861/71) 北ブルグントの伯 | ウード (-834) オルレアン伯 | インゲルトルート (805-?) | ジェラール2世 (800-878/9) パリ伯 ヴィエンヌ伯 | アダラール1世 (810-870) メッツ伯 セネシャル | マトフリード1世 (795-836/7) オルレアン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アダラール (830-890以降) パリ伯 | ウルフハルド2世 | ヴュルグラン1世 アングレーム伯 (タイユフェル家祖) | ベゴ2世 (-861以降) パリ伯 | エルマントルド | シャルル2世 西フランク王 | マトフリード2世 (820-882以降) アイフェルガウ伯 | インゲルトルート 1=ボソ4世 (ボゾン家) 2=Wangar | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウルフハルド (855-880/93) フラヴィニー修道院長 | アデライード | ルイ2世 西フランク王 | アダラール2世 (840/5-889/90) メッツ伯 | 娘 (または姪) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルマントルド | シャルル3世 西フランク王 | リシャール (880-945) プリュム修道院長 リエージュ司教 | ラダルズ 伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィゲリヒ ビドガウ伯 ロタリンギア宮中伯 | クニグンデ | ジェラール1世 (870-910) メッツ伯 | オーダ (ザクセン公オットー1世娘) | ハインリヒ1世 (876-936) 東フランク王 | マトフリード1世 (875-926以降) メッツ伯 | ラントジント | ダド ヴェルダン司教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィヒフリート (c.901-953) ケルン大司教 | ゴツェロ ビドガウ伯 | オーダ (905-963) | エルマントルド | ゴットフリート (c.905-949) ロタリンギア宮中伯 ユーリヒガウ伯 | オットー1世 (912-973) 神聖ローマ皇帝 | アダルベール1世 (c.900-944) メッツ伯 | リウトガルト (915-960) (トリーアガウ伯ヴィゲリヒ娘) | エーバーハルト4世 (-967) ノルトガウ伯 | バルノワン (-939) ヴェルダン司教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルデンヌ家 | ゴットフリート1世 (925/35-964) エノー伯 下ロレーヌ公 | ジェルベルジュ (925/35-996以前) =ゲルデルン伯メギンゴース | ジェラール2世 (925/35-?) メッツ伯 | リウトガルト | コンラート (c.922-955) ロートリンゲン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルマントルド =ヴェッテラウ伯ヘリベルト(コンラディン家) | リシャール[2] (950-986) メッツ伯 | オットー1世 (c.948-1004) ケルンテン公 | ルイトガルト | フーゴ5世 ノルトガウ伯 | ヘートヴィヒ =ルクセンブルク伯ジークフリート | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エーファー (ルクセンブルク伯ジークフリート娘) | ジェラール3世 (965-1024/5) メッツ伯 | ユーディト (シュヴァーベン公コンラート1世娘) | アダルベール2世 (-1033) メッツ伯 | アーデルハイト (c.970-1046) | ハインリヒ ヴォルムスガウ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジークフリート (-1017) | ベルシンダ (-1002以前) ルミルモン女子修道院長 | ギーゼラ (上ロートリンゲン公ディートリヒ1世娘) | ジェラール4世 (-1044/5) メッツ伯 | イタ (995-1035以降) =クレットガウの伯ラートボト | コンラート2世 (990-1039) 神聖ローマ皇帝 | エーバーハルト5世 ノルトガウ伯 | フーゴ6世 ノルトガウ伯 エギスハイム伯 | ハイルヴィヒ (ダグスブルク伯ルートヴィヒ娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アダルベール ロレーヌ公 | ジェラール ロレーヌ公 | ハプスブルク家 | ハインリヒ3世 (1017-1056) 神聖ローマ皇帝 | ゲルハルト1世 エギスハイム伯 | フーゴ7世 ダグスブルク伯 | ブルーノ (1002-1054) (教皇レオ9世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャトノワ家 | ハインリヒ4世 (1050-1106) 神聖ローマ皇帝 | フリードリヒ (c.1020-1053) リースガウ伯 | ヒルデガルト (1024/35-1094/5) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アグネス (1072/3-1143) | フリードリヒ1世 (c.1050-1105) シュヴァーベン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーエンシュタウフェン朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln Band I.2 (1999) Tafel 204
- V. Châtelain, in: Jahrbuch der Gesellschaft für lothringische Geschichte und Altertumskunde XIII, 1901
- Annales de la Société archéologique de Namur XXXVI, 1923
- Eduard Hlawitschka: Die Anfänge des Hauses Habsburg-Lothringen, 1969
- Severin Corsten: Die Grafen von Jülich unter den Ottonen und Saliern, in: Beiträge zur Jülicher Geschichte Nr. 45, Dezember 1978
- Stefan Weinfurter/ Odilo Engels: Series Episcoporum Ecclesiae Catholicae Occidentalis V,1, Stuttgart 1984
- Winfried Glocker: Die Verwandten der Ottonen und ihre Bedeutung in der Politik. Studien zur Familienpolitik und zur Genealogie des sächsischen Kaiserhauses, Köln-Wien 1989
- Rüdiger E. Barth: Der Herzog von Lothringen im 10. Jahrhundert, Sigmaringen 1990