ジン・ルイス
ジン・ルイス | |
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プロフィール | |
リングネーム | ジン・ルイス カズン・ルーク テキサス・レッド ザ・モンゴリアン ザ・モンゴル カルマ |
本名 | ジーン・プティ |
身長 | 185cm |
体重 | 118kg - 123kg |
誕生日 | 1949年5月19日 |
死亡日 | 2013年9月29日(64歳没) |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州[1] |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール[1] |
トレーナー | デール・ルイス[1] |
デビュー | 1972年[2] |
引退 | 2000年 |
ジン・ルイス(Gene Lewis、本名:Gene Petit、1949年5月19日 - 2013年9月29日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニュージャージー州出身[1]。
ヒールの中堅選手として、モンゴリアン、カウボーイ、ヒルビリー、ペイントレスラーなど、さまざまなギミックのキャラクターを演じた[3][4]。
来歴
[編集]1960年代にニュージャージーからフロリダに移住し、タンパ大学にてアメリカンフットボールで活動、チームメイトにはポール・オーンドーフやディック・スレーターがいた[1]。1972年のデビュー後は、師匠格デール・ルイスの弟と称してジン・ルイス(Gene Lewis)を名乗り[1]、フロリダ、ルイジアナ、ジョージア、テキサスなどアメリカ南部を転戦[2]。
1975年、カナダのモントリオールで活動していた際、同地区に遠征していたアントニオ猪木と坂口征二に見込まれ、同年7月に新日本プロレスに初来日[5]。外国人エース格のハンス・シュミットやブルート・バーナードと組んでのタッグマッチにおいて、猪木とも度々対戦した[6][7]。
その後も前座要員のヒールとして各地のアンダーカードに出場していたが[2]、1981年6月25日、中西部のNWAセントラル・ステーツ地区にて、ルーファス・ジョーンズを破りTV王座を獲得[8]。以降も翌1982年にかけて、デューイ・ロバートソンやマーク・ロメロを相手に同王座を争った[8]。
1983年、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたダラスのWCCWにおいて、辮髪に毛皮のコスチュームをまとった蒙古人ギミックのザ・モンゴル(The Mongol)に変身。スカンドル・アクバをマネージャーに迎え、5月30日にキング・パーソンズからWCCW認定のTV王座を奪取、7月11日にクリス・アダムスに敗れるまで保持した[9]。11月には全日本プロレスにザ・モンゴリアン(The Mongolian)のリングネームで来日[3]、鶴見五郎と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した[10]。
翌1984年には古巣のNWAフロリダ地区にて、カルマ(Kharma)なる顔面ペイントを施した怪奇派レスラーに再変身。ケビン・サリバン率いるアーミー・オブ・ダークネスの一員となって、ワンマン・ギャング、バズ・ソイヤー、ヒール時代のジム・ドゥガンらと共闘、ダスティ・ローデスやビリー・ジャックと抗争を展開した[1][11]。
1985年7月、カウボーイ・ギミックのテキサス・レッド(Texas Red)として全日本プロレスに再来日[3]。スタン・ハンセンのパートナーに起用され、7月29日に鹿児島県立体育館にて、ジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビが保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦した[12]。この日本遠征から帰米中の8月3日、ハワイのアロハ・スタジアムで行われたイベントにジン・ルイス名義で出場し、ゲーリー・フルトン(チャーリー・フルトン)と組んで新日本プロレスの藤波辰巳&木村健吾と対戦[13]。この試合は8月16日の『ワールドプロレスリング』において放送されたが、翌17日の『全日本プロレス中継』にもテキサス・レッドでの試合が録画放送されており、結果として新日本と全日本の両団体の中継番組に2日連続で登場することとなった。
1985年12月より、オーバーオールを身に着けた農夫スタイルのベビーフェイス、カズン・ルーク(Cousin Luke)としてWWFに登場。ヒルビリー・ジムやアンクル・エルマーらによるヒルビリー・ファミリーの一員となり、ミッドカード戦線で活動した[1][14]。WWFには1986年末までレギュラー出場し、キングコング・バンディ、ビッグ・ジョン・スタッド、アドリアン・アドニス、カウボーイ・ボブ・オートン、ハーリー・レイス、カマラ、ハーキュリーズ、ジェイク・ロバーツらのジョバーを務めている[15][16]。
WWF離脱後の1987年5月、再びテキサス・レッドのギミックで全日本プロレスに参戦、タイガー・ジェット・シンやキラー・トーア・カマタのパートナーを務めた[17]。以降はセミリタイアし、1990年代はホームタウンのニュージャージーなど東部地区のインディー団体にカズン・ルークのギミックで時折出場していた[2]。
2013年9月29日、死去[2]。晩年は多発性硬化症および糖尿病との闘病生活を送っていた[18]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWAセントラル・ステーツTV王座:2回[8]
- ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
- WCCW TV王座:1回[9]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “Cousin Luke made a lasting impression”. Slam Wrestling (May 23, 2008). 2016年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e “Cousin Luke: Places”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P82(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Gene Petit”. Online World of Wrestling. 2020-0703閲覧。
- ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P86(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “NJPW 1975 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Cousin Luke in 1975”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ a b c “NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ a b “World Class Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Cousin Luke in 1983”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Cousin Luke in 1984”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Cousin Luke in 1985”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “Polynesian Hot Summer Night”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “Hillbilly Family”. Online World of Wrestling. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Cousin Luke in 1986”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Cousin Luke in 1987”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
- ^ “Former WWE Star Gene “Cousin Luke” Petit Passes Away”. WrestleZone.com (September 30, 2013). 2016年5月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- ジン・ルイスのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database