ダイシンボルガード

ダイシンボルガード
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1966年3月4日
死没 1986年
イーグル
ワカザクラ
生国 日本北海道浦河町
生産者 秋場亀
馬主 高橋金次
調教師 柴田寛(東京
厩務員 石田健一
競走成績
生涯成績 24戦7勝
獲得賞金 7602万5900円
勝ち鞍
八大競走 東京優駿 1969年
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ダイシンボルガードとは日本競走馬。第36回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。

略歴

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ダービー制覇前

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1968年9月22日にデビューして4着となった。3戦目に初勝利を挙げると4戦目の特別戦も勝ち、2歳シーズンを4戦2勝で終えた。

翌年(1969年)は特別戦に出走して2着となった後、特別戦・オープン戦を連勝しクラシック出走権を確保した。クラシック初戦の皐月賞では4番人気で23頭中14着に敗れた。続くNHK杯は4着(3番人気)で第36回東京優駿(日本ダービー)を迎える。

第36回東京優駿

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1969年5月25日東京競馬場で行われた第36回東京優駿は不良馬場のなか28頭立てで行われた。皐月賞優勝馬のワイルドモア骨折により出走を回避したため混戦模様となり、単勝1番人気タカツバキ、2番人気は皐月賞2着馬ギヤロツプ、3番人気は朝日杯3歳ステークス優勝馬ミノルで、ダイシンボルガードは6番人気であった。

このレースは事故や珍事が重なった。まずスタート直後に1番人気のタカツバキが転倒して騎手の嶋田功が落馬し競走中止となった。さらにゴール前の直線ではハクエイホウをダイシンボルガードとミノルが追い、3頭での激しい叩き合いとなったが、ダイシンボルガードの担当厩務員の石田健一が「俺の馬だ」と叫びながら係員の制止を振り切ってレース中のコースに乱入する騒ぎが起こった[1](競走中の同馬とパドック用のメンコを振る石田が一緒に写った写真が残っている)。結局ダイシンボルガードがミノルにクビ差で勝利した[2]。石田の行動に対し観客席からは拍手が起き、競馬マスコミも好意的であった[1]が、レース後石田は厳重注意処分(実際には戒告であった)を受け、この件は公式記録の制裁欄にも記載された。

騎手を務めた大崎昭一はこのとき24歳で、当時としては戦後最年少のダービージョッキーとなった(現在は1971年ヒカルイマイで東京優駿を制した田島良保騎手の23歳に次ぐ記録)。またレース後には競馬ファンの手により胴上げされたが、レース後に胴上げされたのは大崎が初である。

ダービー制覇後

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その後は菊花賞は15着と振るわず、天皇賞(秋)3着・有馬記念3着2回と健闘したが、結局、東京優駿以降はダイヤモンドステークスとオープン戦で2勝を挙げるに止まった。

1971年シーズンで引退した後、種牡馬となった。種付数には恵まれず、中央競馬で活躍する産駒も現れなかったが、1986年に死ぬまで種牡馬生活を続けた。


血統表

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ダイシンボルガード血統フェアトライアル系フェアウェイ系)/Gainsborough5×4×4=12.50%、Fairway(Pharos)4×5=9.38%) (血統表の出典)

*イーグル
Eagle
1958 黒鹿毛
父の父
Court Martial
1942 栗毛
Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
父の母
Ark Royal
1952
Straight Deal Solario
Good Deal
Felucca Nearco
Felsetta

ワカザクラ
1947 栗毛
クモハタ
1936 栗毛
*トウルヌソル Gainsborough
Soliste
*星旗 Gnome
Tuscan Maiden
母の母
アイシンミンドア
1938 栗毛
*ミンドアー Spearmint
Lady Orb
アイシンパレイド *クラツクマンナン
*クイーン F-No.39


脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 遠山 1993, p. 171.
  2. ^ 競走成績 第36回東京優駿”. 競走成績データ. 日本中央競馬会. 2011年7月12日閲覧。

参考文献

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  • 遠山彰『日本ダービー物語』丸善、1993年。ISBN 978-4-621-05097-2 

外部リンク

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