ハート形土偶
ハート形土偶 (ハートがたどぐう)は、縄文時代に製作された土偶の一つ。顔面がハート形を呈することからこの通称がある。
概要
[編集]縄文時代後期の前半の関東地方及び東北地方南部で多く造られた。ハート形の顔については、仮面をかぶった姿とも、顔そのものをデフォルメしたものとも考えられているが、いずれであるかは判明していない[1]。
大きなハート型の顔、体の横に張り出した腕、自立できるしっかりした足腰、を三大特徴とする[2]。福島県では板状土偶を経てハート形土偶が誕生し、山形土偶へと姿を変えていった[3]。
顔のつくりはハート型に近いものもあれば円形に近いものもあるが、他の時期の土偶と比較して鼻筋の通った顔が共通し[4]、粘土を盛って短沈線を引く目の表現,後頭部に立つ棒状突起で識別されている[5]。
群馬県郷原出土土偶
[編集]縄文時代後期と推定される土偶。高さは約30.5センチメートル。第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、群馬県吾妻郡岩島村(現在の東吾妻町)大字郷原で行われた国鉄長野原線郷原駅(現在のJR吾妻線郷原駅)建設工事に際し、調査を行ったところ発見された(郷原遺跡)。土偶は河原石で囲まれた墓と思われる遺構の中から3つに割れた状態で発見され、左足先端部分は欠損している。戦後の1951年(昭和26年)に公式発表された。
女性像であるといわれ、妊娠線・産道が表現されている。ハート形の顔は考古学界のみならず美術界でも評価が高い。1965年(昭和40年)に重要文化財に指定されている。個人蔵で、東京国立博物館に寄託されている。1981年(昭和56年)に発行された90円普通切手のデザインにもなった。
関連
[編集]ハート型土偶には分類されていないが、縄文のビーナス[6]、ハート形土偶から変化したとも言われる[7]一部のみみずく土偶[8]ならびにその影響を受けたものなど顔面部分をハート形に表現している土偶も存在する[9]。
- 縄文のビーナス。顔はハートの形である。
- ミミズク型土偶。顔はハートの形に囲まれている。
- 馬高遺跡の土偶。
ハート型土偶は岡本太郎作の太陽の塔のルーツになったとされている[10]。
ハート形土偶のモチーフに関する説
[編集]皿状の顔面を斜め上に向けており、関東一円から長野・山梨へ流行した中には仮面土偶と言われる一群があり、地方色とも言われるが、松久保秀胤は仮面装着の土偶が先行し、それがデフォルメされてハート形土偶に移っていくとした方が妥当ではないかと思っている[11]。
人類学において、古代の人々が植物の栽培を行う際には、その植物の精霊に対する呪術的儀礼を行うことが指摘されているが、縄文時代の遺跡からは痕跡が見つかっていなかった[12]。
竹倉史人は土偶のモチーフは食用植物にちがいないと主張し、ハート形土偶とオニグルミの断面が酷似しているとした[13]。なおハート形土偶が分布する阿武隈山地と会津盆地はオニグルミの分布域である[14]。土偶は縄文人の姿でも妊娠女性でも地母神でもなく主要な食用植物の姿をかたどっている[15]という竹倉の主張に対して、石塚正英は土偶と大地は一体であり、自然を人に似せることで擬神化していると主張している[16]。
1981年(昭和56年)には東京都で縄文時代中期(約5000年前)の竪穴建物の中からクルミ形縄文土器が発見され、自然の恵みに対する感謝と豊穣祈願を目的に製作、使用されたと考えられている[17]。
2008年(平成20年)には埼玉県からクルミ形土製品が出土し、貴重な食料である大きなクルミがたくさん収穫できるよう[18]、神に奉げられた祭祀具と推定されている[19]。
脚注
[編集]- ^ ハート形土偶
- ^ 大安場史跡公園 2015, p. 1.
- ^ 大安場史跡公園 2015, p. 2.
- ^ 山内幹夫 1992, p. 167.
- ^ 新発田市教育委員会 2014, p. 61.
- ^ “国宝「土偶」(縄文のビーナス) |茅野市尖石縄文考古館”. www.city.chino.lg.jp. 2018年11月2日閲覧。
- ^ 白石哲也 2021, p. 39.
- ^ “土偶 - e国宝”. www.emuseum.jp. 2018年11月2日閲覧。
- ^ 新津健 1998, p. 8.
- ^ “縄文—1万年の美の鼓動:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape”. 美術館・アート情報 artscape. 2018年11月2日閲覧。
- ^ 松久保秀胤 2009, p. 18.
- ^ 瀧音能之 & 水谷千秋 2022, p. 23.
- ^ 石塚正英 2021, p. 1.
- ^ 河合敦 2021, p. 8.
- ^ 石塚正英 2021, p. 2.
- ^ 河合敦 2021, p. 7.
- ^ 学校教育部 教育総務課 2011, p. 1.
- ^ 北本市教育委員会文化財保護課 2017, p. 2.
- ^ 武藤郁子 2021, p. 21.
参考文献
[編集]- 土偶 国指定文化財等データベース
- 山内幹夫「福島県の土偶」『国立歴史民俗博物館研究報告』第37号、国立歴史民俗博物館、1992年、154-174頁、doi:10.15024/00000531、ISSN 02867400、NAID 120005747855、国立国会図書館書誌ID:3463937、2022年11月27日閲覧。
- 新津健「山梨における後晩期土偶の展開」『山梨県埋蔵文化財センター・山梨県立考古博物館研究紀要 : 研究紀要』第14号、山梨県立考古博物館、1998年、1-20頁、doi:10.24484/sitereports.7147-6107、ISSN 09103295、NAID 120007040539、国立国会図書館書誌ID:4507552、2022年11月27日閲覧。
- 松久保秀胤『縄文謎の扉を開く』冨山房インターナショナル、2009年、18頁。ISBN 9784902385830。 NCID BB00796567。OCLC 676124358。全国書誌番号:21695292 。2022年11月27日閲覧。
- 学校教育部 教育総務課「町田市の文化財をご存知ですか」『まちだの教育』第78号、町田市、2011年、2022年11月29日閲覧。
- 新発田市教育委員会「中野遺跡の本調査」『中野遺跡・庄道田遺跡発掘調査報告書』、新発田市埋蔵文化財調査報告、2014年、19-97頁、doi:10.24484/sitereports.15298、NCID BB15469917、OCLC 919541285、CRID 1130282272107556480、2022年11月27日閲覧。
- 大安場史跡公園「縄文の風景~ハート形土偶の生まれた時代~」『平成27年度 大安場史跡公園 第1回企画展』、郡山市文化・学び振興公社、2015年、1-2頁、2022年11月27日閲覧。
- 北本市教育委員会文化財保護課「デーノタメ遺跡が語るもの」『デーノタメ通信』第3巻、北本市、2017年、2022年11月29日閲覧。
- 石塚正英「土偶は植物そのものという新解釈をめぐって」『頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要』第6巻第22号、頸城野郷土資料室、2021年、1-14頁、doi:10.32257/kfa.6.22_1、ISSN 24321087、NAID 130008102436、CRID 1390852637335170304、2022年11月27日閲覧。
- 白石哲也「土偶とは何か : 結髪土偶と縄文社会」『山形大学附属博物館クラウドファンディング報告書 : 90年ぶりに再会した左脚を接合し結髪土偶を立ち上がらせたい!』、山形大学附属博物館、2021年、35-40頁、2022年11月27日閲覧。
- 河合敦『教科書に載せたい日本史、載らない日本史~新たな通説、知られざる偉人、不都合な歴史~』扶桑社、2021年、8頁。ISBN 9784594089313。 NCID BC09593690。OCLC 1273762283。全国書誌番号:23586554 。2022年11月27日閲覧。
- 武藤郁子『縄文神社 首都圏篇』飛鳥新社、2021年、21頁。ISBN 9784864108348。 NCID BC09276880。OCLC 1257515036。全国書誌番号:23542209 。2022年11月29日閲覧。
- 瀧音能之、水谷千秋『古代史の定説を疑う』宝島社、2022年、8頁。ISBN 9784299034595。 NCID BC17081661。OCLC 1348970316。全国書誌番号:23747714 。2022年11月27日閲覧。