ペルミ

座標: 北緯58度0分 東経56度19分 / 北緯58.000度 東経56.317度 / 58.000; 56.317

ペルミ
Пермь
シビールスカヤ通り
シビールスカヤ通り
ペルミの市旗 ペルミの市章
市旗 市章
位置
ペルミの位置の位置図
ペルミの位置
位置
ペルミの位置(ロシア内)
ペルミ
ペルミ (ロシア)
ペルミの位置(ヨーロッパロシア内)
ペルミ
ペルミ (ヨーロッパロシア)
ペルミの位置(沿ヴォルガ連邦管区内)
ペルミ
ペルミ (沿ヴォルガ連邦管区)
ペルミの位置(ペルミ地方内)
ペルミ
ペルミ (ペルミ地方)
地図
座標 : 北緯58度0分0秒 東経56度19分0秒 / 北緯58.00000度 東経56.31667度 / 58.00000; 56.31667
歴史
建設 1723年5月15日
行政
ロシアの旗 ロシア
 連邦管区 沿ヴォルガ連邦管区
 行政区画 ペルミ地方の旗 ペルミ地方
 市 ペルミ
市長 エドゥアルド・オレゴヴィッチ・ソスニン
地理
面積  
  市域 799.68 km2
標高 171 m
人口
人口 (2023年現在)
  市域 1,027,153人
その他
等時帯 エカテリンブルク時間 (UTC+5)
郵便番号 614xxx
市外局番 +7 342
ナンバープレート 59, 81, 159, 181
公式ウェブサイト : http://www.gorodperm.ru/

ペルミペルムロシア語:Пермьピェールミラテン文字転写の例:Perm’)は、ロシア都市ウラル山脈西側の麓、カマ川の両岸に広がる。沿ヴォルガ連邦管区に属するペルミ地方の州都で、人口は約103万人(2023年)。

工業都市として、機械工業、石油・化学工業、木材加工、軍事産業などが盛ん。シベリア鉄道が通る鉄道の分岐点で、陸上・水上交通の要衝でもある。モスクワから1,385km。ペルミII駅(ペルミ・ドヴァー)が中心的な鉄道駅となっている。

1723年に建設される。1781年からペルミ市。1940年から1957年までは、モロトフМолотов)と呼ばれていた。1870年に創立されたペルミ国立オペラ・バレエ劇場が有名。ペルミ国立大学ペルミ国立工科大学などの高等教育機関がある。

地質学用語のペルム紀はこの街の名にちなむ[1]

歴史

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ペルミでカマ川を渡るシベリア鉄道の鉄橋から

中世初期のペルミ一帯には、多神教を奉じるフィン・ウゴル族の部族が、北東をヴォルガ・ブルガール人と接しつつ、居住していた。13世紀から14世紀にかけて、ロシア人の交易者やキリスト教の宣教師がノヴゴロドや後にはモスクワから去来し、この地方に最初の居留地を築いた。この地域の住民を最初にキリスト教正教会)に改宗させたのは聖人ペルミのステファンであるとされている。15世紀にはいると、毛皮の取引で大きな収益を上げていたペルミ一帯は、ノヴゴロドとモスクワの争いの焦点となり、最終的に1472年モスクワ大公領となった。15世紀末から16世紀初頭にかけて、兵士や商人、キリスト教の修道士や聖職者に引き続いて、モスクワ大公の行政官や農民が西ロシアから入植してきた。

ペルミが最初に史料に登場するのは1647年で、イェゴシカ(Yegoshikha)村として登場する。しかしながら実質的には、現在のペルミ市の歴史は、ピョートル1世治下でのウラル地方の開拓と共にはじまる。ヴァシーリイ・タチシェチェフ (Vasily Tatishchev) が、皇帝により、ペルミおよびエカテリンブルクの工場の支配人として任命された。

ペルミは1723年5月15日(ユリウス暦5月4日)に開基され、1781年には町に昇格した。1797年にはすでにこの地方の行政上の中心地として、ペルミ県(グベールニャ)の県庁所在地となっている。

ペルミ・オペラ・バレエ劇場

ペルミは交易と工業の中心地となり、1860年代には人口が2万人を超えた。金属工業製紙業、蒸気船製造が行われ、工場の一つにはイギリス人が出資していた。1870年にはオペラハウスが設置され、1871年にはロシアで最初のリン工場が建設された。1916年にはペルミ大学が開設された。ペルミ大学は今日でもロシアの主要大学のひとつである。

ロシア革命が起こり内戦が始まると、ペルミに武器工場があったことから、ペルミは各陣営の主要な占領目的となった。1918年12月、シベリア白軍アレクサンドル・コルチャーク提督がペルミを占拠したが、数ヵ月後には赤軍に奪取された。ペルミ・チェーカーの命令下、1918年6月12日、ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公は、秘書のニコラス・ジョンソンとともにペルミの郊外で処刑された。その数週間後、ペルミ大主教アンドロニク・ニコリスキイが、市内でボルシェビキにより殺害された。

2000年ロシア正教会は、他の多くの新致命者表信者とともに、ニコリスキイを「新神品致命者、ペルミの大主教、アンドロニク」として列聖した。ニコリスキイは日本正教会の初代京都主教でもあり、正教会で日本にゆかりのある二人目の聖人となった。

ソビエト連邦時代も、ペルミはこの地方の工業と政治の中心となった。1930年代には航空産業がペルミの主要産業に加わった。工業の発展は1940年代も続いた。また第二次世界大戦中はロシア西部から多くの工場がペルミへ疎開し、ペルミは戦車生産の中心地となった。1940年から1957年までは、ヴャチェスラフ・モロトフにちなみモロトフ市と改称されている。

今日ペルミの総人口の8割は工業生産に従事している。

交通

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姉妹都市

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ペルミ中心部

著名出身者

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脚注

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  1. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年7月8日閲覧。

外部リンク

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