ミハイル・ニコラエフ
ミハイル・ニコラエフ Михаил Ефимович Николаев Дьэкиим уола Ньукулаайап Мэхээлэ | |
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ミハイル・ニコラエフ(2008年撮影) | |
生年月日 | 1937年11月13日 |
出生地 | ソビエト連邦 ヤクート自治共和国オルジョニキーゼ地区オクテムツィー村 |
没年月日 | 2023年8月4日(85歳没) |
出身校 | オムスク獣医大学 |
前職 | 獣医、ソ連共産党官僚、ヤクート自治共和国農相、最高会議幹部会議長、ソ連人民代議員 |
現職 | サハ共和国大統領 |
所属政党 | ソ連共産党(1991年離党) |
初代 サハ共和国大統領 | |
在任期間 | 1991年12月27日 - 2002年1月27日 |
ミハイル・エフィーモヴィチ・ニコラエフ(ロシア語: Михаил Ефимович Николаев、ラテン文字表記の例:Mikhail Yefimovich Nikolaev、1937年11月13日 - 2023年8月4日[1])は、ソビエト連邦およびロシアの政治家。ヤクート人。ロシア連邦サハ共和国初代大統領(在任期間、1991年1月27日から2002年)やロシア連邦議会上院連邦会議副議長を務めている。
生涯
[編集]1937年11月13日ソビエト連邦ロシア共和国のヤクート自治共和国オルジョニキーゼ地区オクテムツィー村に農民の子として生まれた。
1961年オムスク獣医大学を卒業し獣医として勤務の傍ら、コムソモール活動に参加し、ヤクーツク市コムソモール第一書記などを歴任する。1963年ソ連共産党に入党する。1969年から1971年までソ連共産党中央委員会付属高等幹部学校で学ぶ。1975年ヤクート自治共和国閣僚会議副議長(副首相)、1979年ヤクート自治共和国農相、1985年ヤクーツク地区委員会書記(農業担当)を歴任し、農業改革に尽力した。
1989年ヤクート自治共和国最高会議幹部会議長に選出される。1990年ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカに伴い、ヤクート共和国最高会議議長、ソ連人民代議員に選出された。
1991年ソ連8月クーデターが起こると、ソ連共産党を離党する。同年12月20日ヤクート自治共和国は大統領制を導入し、ニコラエフを初代大統領に選出した。このとき、ニコラエフは投票総数の76.7パーセントを獲得した。12月28日ヤクート自治共和国はヤクート・サハ共和国に名称を変更した。
1996年の大統領選挙では58.96パーセントを獲得し再選された。2002年に辞任後、連邦議会上院副議長を務めている。
著作
[編集]脚注
[編集]- ^ “Перестало биться сердце первого президента Якутии”. 1sn.ru (2023年8月5日). 2023年8月5日閲覧。
公職 | ||
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先代 自分自身 (最高会議議長) | サハ共和国大統領 初代:1991 - 2002 | 次代 ヴャチェスラフ・シュティロフ |
先代 自分自身 | ヤクート・サハ共和国 最高会議議長 初代:1990 - 1991 | 次代 自分自身 (大統領) |
先代 (創設) | ヤクート自治ソビエト社会主義共和国 最高会議議長 初代:1990 | 次代 自分自身 |