三浦肆玖楼
三浦 肆玖楼(みうら しくろう、1890年(明治23年)9月21日[1][2] - 1961年(昭和36年)10月4日[1][2])は、大正から昭和時代の日本の農学者。
経歴・人物
[編集]島根県那賀郡井野村(現・浜田市三隅町)にて生まれる[2]。島根県農林学校を経て、1917年(大正6年)東京農業大学を卒業[1][2]。シンガポールの三五公司の社員となり、ゴムノキの芽接ぎ技術を完成、熱帯ゴム樹栽培の技術を確立した[1][2]。1925年(大正14年)島根県邑智郡農会技師、1928年(昭和3年)岐阜高等農林学校勤務を経て、1931年(昭和6年)母校の東京農業大学講師となる[1][2]。さらにアメリカのネブラスカ大学に留学[2]。1934年(昭和9年)に帰国し、東京農業大学教授となり、同校の戦後復興に尽力[1][2]。1959年(昭和34年)同校卒業生として初の学長に就任した[1][2]。
著作
[編集]- 単著
- 『熱帯農業 作物篇』西ケ原刊行会、1942年。
- 『食用作物各論』アヅミ書房、1952年。
- 『熱帯作物』アヅミ書房、1955年。