上方武士道
上方武士道 | |
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作者 | 司馬遼太郎 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 時代小説 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『週刊コウロン』1960年 |
刊本情報 | |
出版元 | 中央公論社 |
出版年月日 | 1960年 |
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『上方武士道』(ぜえろくぶしどう)は、司馬遼太郎の時代小説。幕末、朝廷の密命を受けた剣客・高野少将則近が東海道を舞台に佐幕派、勤皇派らの刺客に立ち向かいながら使命を守る活躍を描く。
『週刊コウロン』で1960年(昭和三十五年)1月から同年8月まで連載された。同年11月中央公論社より刊行された。この小説を原作として、1961年にフジテレビが、1969年に日本テレビが、それぞれ時代劇のテレビシリーズを製作した。
表題について
[編集]連載第一回目の表題は『花咲ける上方武士道』であったが、ジャーナリストの大宅壮一の助言により二回目以降は『上方武士道』(ぜえろくぶしどう)に改題され、単行本出版の際にも『上方武士道』の表題で出版された。「ぜえろく」は本来「贅六」または「才六」と書き、上方(かみがた)で丁稚を差す隠語「さいろく」の江戸訛りとされる。特に「上方の贅六」は江戸で関西人に対する侮蔑的な表現として用いられるため、今日では差別用語として忌避される傾向にある。
中央公論社で没後再刊した際に再び『花咲ける上方武士道』に改題された。連載当時雑誌の編集長だった嶋中鵬二は、大阪人の大宅が「ぜえろく」を薦めたのは「一種の自虐趣味」だったのではないかと語っている。司馬夫人の福田みどりは、上方人として「贅六は好きではない」と述べている[1]。
刊行書誌
[編集]- 『上方武士道』中央公論社、1960年
- 『上方武士道』双葉社、1964年。新書判
- 『上方武士道』東都書房、1965年。新書判
- 『上方武士道』春陽文庫、1966年、改版1996年
- 『上方武士道』東方社「新文学全書」、1968年
- 『司馬遼太郎全集〈1〉 梟の城 上方武士道』文藝春秋、1973年
- 『花咲ける上方武士道』中央公論社、1996年
- 『花咲ける上方武士道』中公文庫、1999年
フジテレビ版
[編集]1961年1月3日から同年6月27日まで放送された。毎週火曜日夜8時30分-9時。全25回。
キャスト
[編集]フジテレビ系 火曜20時台後半枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
三人の刑事 | 上方武士道 (フジテレビ版) | 黒いパトカー |
日本テレビ版
[編集]1969年4月6日から同年7月27日まで放送された。全17回。
スタッフ
[編集]- 脚本:池上金男
- 監督:田坂勝彦
キャスト
[編集]放送リスト
[編集]- 第1話 不明 4月6日放送
- 第2話 不明 4月13日放送
- 第3話 不明 4月20日放送
- 第4話 不明 4月27日放送
- 第5話「鎮守の森の対決」5月4日放送
- 第6話「悪公卿退治」5月11日放送
- 第7話「四日市の殺陣」5月18日放送
- 第8話「さかい橋の決闘」5月25日放送
- 第9話「刺客屋敷」6月1日放送
- 第10話「やくざと武士」6月8日放送
- 第11話「お庭番襲撃」6月15日放送
- 第12話「関所破り」6月22日放送
- 第13話「あかつきの決闘」6月29日放送
- 第14話「伊賀忍者の掟」7月6日放送
- 第15話「開国前夜」7月13日放送
- 第16話「動乱の江戸へ」7月20日放送
- 最終話「黎明の時」7月27日放送
出典
[編集]- ^ 『司馬遼太郎の跫音』13頁。中公文庫、1998年
日本テレビ 日曜日21:30 - 22:26 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
上方武士道 (日本テレビ版) |