下呂町
げろちょう 下呂町 | |||||
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廃止日 | 平成16年(2004年)3月1日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 萩原町・小坂町・下呂町・金山町・馬瀬村→下呂市 | ||||
現在の自治体 | 下呂市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
郡 | 益田郡 | ||||
市町村コード | 21583-0 | ||||
面積 | 194.11 km2 | ||||
総人口 | 14,527人 (推計人口、平成16年(2004年)2月1日) | ||||
隣接自治体 | 益田郡 小坂町、萩原町、金山町、馬瀬村、加茂郡白川町、恵那郡加子母村 長野県 王滝村 | ||||
町の花 | つつじ | ||||
下呂町役場 | |||||
所在地 | 〒509-2295 岐阜県益田郡下呂町森960番地 旧・下呂町役場(現在の下呂市役所) | ||||
座標 | 北緯35度48分21秒 東経137度14分39秒 / 北緯35.80589度 東経137.24406度座標: 北緯35度48分21秒 東経137度14分39秒 / 北緯35.80589度 東経137.24406度 | ||||
ウィキプロジェクト |
下呂町(げろちょう)は、かつて岐阜県益田郡にあった町。2004年(平成16年)3月1日に益田郡の他4町村と合併し、下呂市が発足した。下呂温泉で知られる。
地理
[編集]面積の90%を山林が占め、御嶽山系の1,000m級の山々に囲まれている。川が町のほぼ中央を貫流する飛騨川に合流している。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]上古
- 『岐阜県益田郡誌』によると、「光仁天皇の御代宝亀7年までは大野郡伴有里の内なりしも後下留郷となし、又其後・・・湯之島・森・小川・三原に中原村大字門原の舊六ヶ村を下呂郷と称す」、「蓋し村名の起因は前記下留が下呂と轉じたるならむ」[1]とあり、古くは下留(しものとまり)と呼ばれていたものがやがて下留(げる)を経て下呂(げろ)と変化したものであろうと言われている。
近代
- 江戸時代末期に、この地域は飛騨国益田郡下呂郷と呼ばれていた。江戸時代の初めに飛騨高山藩の金森氏が下呂地域を統治していた。後に天領となった。
- 1883年(明治16年)6月1日 小川、森、湯之島、東上田の各村が三郷村より分離し下呂村と改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 川西村の一部であった三原、少ヶ野村を下呂村に編入する。
- 1925年(大正14年)1月1日 町制施行により下呂町(初代)となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 竹原村、上原村、中原村と合併し下呂町(2代)が発足。
- 2004年(平成16年)3月1日 小坂町、金山町、萩原町、馬瀬村と合併し下呂市が発足。同日下呂町廃止。
行政
[編集]- 歴代町長
- 初代:今井覚次郎(1955年4月20日~1955年8月1日)
- 2代:細江辰己(1955年8月9日~1967年8月8日)
- 3代:斎藤章治(1967年8月9日~1968年12月20日)
- 4代:斎藤三寸三(1969年1月22日~1977年1月21日)
- 5代:矢澤鐘三(1977年1月22日~1993年1月21日)
- 6代:松田正治(1993年1月22日~1997年1月21日)
- 7代: 岡前基三郎 (1997年1月22日~2004年2月29日)
経済
[編集]産業
[編集]教育
[編集]2004年以前に廃校となった学校
[編集]- 岐阜県立益田高等学校下呂分校(1974年廃校)
- 下呂町立下呂小学校東上田分校(1965年廃校)
- 下呂町立門和佐小学校(1967年廃校)
- 下呂町立和川小学校(1967年廃校)
- 下呂町立和佐小学校(1969年廃校)
- 下呂町立中山小学校(1969年廃校)
- 下呂町立中山小学校久野川分校(1969年廃校)
- 下呂町立宮地小学校(1971年廃校)
- 下呂町立竹原東小学校(1971年廃校)
- 下呂町立竹原西小学校(1971年廃校)
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]脚注
[編集]- ^ 岐阜県益田郡役所、『岐阜県益田郡誌』合名会社大衆書房、1960年、30頁。
- ^ a b c 『映画年鑑 1963年版 別冊 映画便覧 1963』時事通信社。1963年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照。