中山友次郎
中山 友次郎(なかやま ともじろう、1881年(明治14年)8月6日 - 1946年(昭和21年)11月15日)は、日本の海軍軍人、教育者。最終階級は海軍大佐。
履歴
[編集]1881年(明治14年)8月6日、高知街通町の商家阿波屋・中山友治の長男に生まれる。海南学校(現在の高知県立高知小津高等学校)を経て、1901年(明治34年)12月、海軍兵学校(29期)を卒業し、少尉候補生になる。1903年(明治36年)1月に海軍少尉任官。
その後、兵学校教官、「富士」航海長などを歴任。第一次世界大戦では駆逐艦艦長として紀淡海峡の警備につく。また地中海では第二特務艦隊第22駆逐隊(第10駆逐隊から改称)司令として英国商船の護衛に当り、ドイツ潜水艦を捕獲し勇名をあげた。海軍大佐で退役。
退役後は三菱長崎造船所参事、同職人学校長、長崎県立佐世保工業学校長などを歴任。1946年(昭和21年)11月15日、下関彦島で死去。
栄典
[編集]- 位階
- 1903年(明治36年)4月10日 - 正八位[1]
- 1904年(明治37年)8月30日 - 従七位[2]
- 1906年(明治39年)11月30日 - 正七位[3]
- 1911年(明治44年)12月20日 - 従六位[4]
- 1917年(大正6年)1月31日 - 正六位[5]
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。