中野次郎
中野次郎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県座間市 |
生年月日 | 1981年5月26日(43歳) |
身長 | 172cm |
体重 | 55kg |
血液型 | O型 |
選手情報 | |
所属 | 東京支部 |
登録番号 | 4075 |
登録期 | 86期 |
級別 | A1級 |
弟子 | 永井彪也(4688) |
特徴 | 自在 |
選手実績 | |
デビュー日 | 2000年5月11日 |
主要獲得タイトル | |
中野 次郎(なかの じろう、1981年5月26日 - )は、神奈川県座間市出身、大阪府大阪市住之江区在住の競艇選手。
登録番号4075。身長171cm。血液型O型。86期(主な同期には吉田俊彦・萩原秀人・市橋卓士・原田篤志・金田幸子・森永淳・柳沢一・中村亮太・後藤陽介などがいる)。神奈川県立大和南高等学校中退。東京支部所属。現住所は大阪府。
来歴・人物
[編集]漫画の「モンキーターン」に影響され、高校2年で中退。本栖研修所を経て2000年5月に平和島競艇場でデビュー、デビュー1年4ヶ月で初優勝を飾り、デビュー2年以内でGI初出場を果たして注目を集めたが、脱臼がちの体質になり、その手術と療養のために2004年は春から秋にかけて半年間休養を余儀なくされ、出走回数不足となって2005年前期はB2に降格。
それでも、2005年前期は新鋭王座決定戦でGI初優出するなど8優出1優勝勝率7.44と1期でA1復帰を決めた。2006年1月29日、唐津競艇場で行われた新鋭王座決定戦でGI初優勝、12月の賞金王決定戦シリーズ戦でSG初優出を決めた。しかし、2007年江戸川周年、丸亀周年の準優勝戦でフライング。これでF2となり、事故率オーバーとなったため、B2級に降格となった。
トーキョーベイパイレーツのメンバーだった。
妻は元グラビアアイドルで大阪市会議員の佐々木理江。そのため大阪在住である。
経歴
[編集]- 2000年5月11日、平和島競艇場で開催された「第39回サンケイスポーツ杯争奪レース」2Rでデビュー(3着)。[3]
- 2000年6月8日、多摩川競艇場・一般戦で初1着
- 2000年9月26日、蒲郡競艇場・一般戦で初優出
- 2001年9月15日、琵琶湖競艇場・一般戦で初優勝
- 2005年1月30日、宮島競艇場・第19回新鋭王座決定戦でGI初優出
- 2006年1月29日、唐津競艇場・共同通信社杯・第20回新鋭王座決定戦でGI初優勝
- 2006年12月24日、住之江競艇場・第21回賞金王シリーズ戦でSG初優出
- 2016年3月20日、平和島競艇場・第51回総理大臣杯の準優11Rを1着で勝ち上がり(決まり手は今垣光太郎のフライングによる恵まれ)、2回目のSG優出。翌3月21日の優勝戦は、スローの4コースから3着。
- 2018年2019年、SG2回優出
- 2021年3月9日、住之江競艇場・太閤賞競走開設64周年記念GⅠ優出3着
- 2021年4月13日、津競艇場・開設69周年記念 ツッキー王座決定戦GⅠ優出5着
- 2021年5月15日、平和島競艇場・開設67周年記念 トーキョー・ベイ・カップGⅠ優出3着
- 2021年賞金ランキング33位
主なタイトル
[編集]- 2006年1月29日:第20回新鋭王座決定戦(G1・唐津競艇場)
- 2007年2月8日:第52回関東地区選手権(G1・多摩川競艇場)
- 2009年3月2日:平和島54周年(G1・平和島競艇場)
- 2011年4月12日:平和島57周年(G1・平和島競艇場)
- 2015年3月31日:多摩川60周年(G1・多摩川競艇場)
- 2015年12月14日:第59回秩父宮妃記念(G2・琵琶湖競艇場)
エピソード
[編集]- 2006年2月21日、笑っていいともに出演。「失敗しない男選び」という、9名の出演者の中からイケメン競艇選手(中野次郎)ではない人を順に当てていくクイズのコーナーであった。
- ペラグループは艇界屈指のペラ巧者・乙津康志が主宰するO2ブランドに所属。
- 得意とする戦法は捲り差し。
- 記念には5度優勝しているが、SGでは苦戦続きで予選敗退が多く、準優勝戦でも敗退続きと優勝戦の壁が高く、格下のSGとはいえども初優出となった2006年の賞金王シリーズ戦以降は、優勝戦にすら進めていなかった。それでも、2016年の地元平和島での総理大臣杯で9年3カ月ぶりにSGの優勝戦に進出した。
脚注
[編集]- ^ マンスリーKYOTEI(現・マンスリーBOAT RACE) 2011年10月号
- ^ 初代は濱野谷憲吾である。
- ^ BOAT RACE Official WEB 2000年5月11日2R平和島競艇場(デビュー)