今里 (花街)

今里新地の紋章
花街の雰囲気を残す一角(2024年7月撮影)

今里(いまざと)または今里新地(いまざとしんち)は、かつて大阪市生野区新今里に存在した花街

沿革

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今里新地は1930年昭和5年)12月大軌今里駅周辺の土地を開墾した上で「芸妓居住指定地」として開設され、大阪市内の芸妓や業者らが移住して営業開始した[1]

第二次世界大戦後は赤線に移行し、松島飛田に次ぐ売春地帯となり、1958年(昭和33年)の売春防止法施行により、遊廓としての今里新地は終焉した[1]。現在も「料亭」の鑑札を掲げて営業している店舗があるが、韓国系の住人や業者が進出し、朝鮮料理店が増えてコリア・タウン化している。その後中国系ベトナム系も進出し、韓国系よりもベトナム系が目立つ街に変貌しつつある[2]

脚注

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  1. ^ a b 『日本花街志』P.867-868
  2. ^ 安田峰俊 (2022年6月16日). “関西屈指のディープ地帯「今里新地」…裏風俗エリアが"ベトナムおしゃれガールズタウン"に変貌した理由”. 文春オンライン. 文芸春秋. 2024年7月31日閲覧。

参考文献

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  • 『今里新地十年史』今里新地組合 1940年
  • 『日本花街志 第一巻』加藤藤吉、四季社 1956年
  • 『近代庶民生活誌 13 色街・遊廓I』南博、林喜代弘 編 三一書房 1991年

関連項目

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