伊奈長三郎
伊奈 長三郎 いな ちょうざぶろう | |
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生年月日 | 1890年3月20日 |
出生地 | 愛知県知多郡常滑村(現・常滑市) |
没年月日 | 1980年10月10日(90歳没) |
出身校 | 東京高等工業学校窯業科(現・東京工業大学) |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 藍綬褒章 紺綬褒章 勲四等瑞宝章 |
子女 | 伊奈輝三 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1954年4月26日 - 1955年3月5日 |
常滑町長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1951年4月 - 1954年3月31日 |
伊奈 長三郎(いな ちょうざぶろう、1890年(明治23年)3月20日[1] - 1980年(昭和55年)10月10日)は、日本の実業家、政治家。伊奈製陶(のちのINAX、現LIXIL)創業者で、同社代表取締役社長を務めた。初代常滑市長(1期)、常滑町長(1期)などを歴任。
経歴・人物
[編集]愛知県知多郡常滑村(現・常滑市)で第5代目窯元の伊奈初之丞の長男して生まれる。旧名伊奈長太郎[2][3]。東京中学校(現・東京高等学校)を経て[4]、1912年東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科卒業[5]。1918年帝国ホテル煉瓦製作所技術顧問。1924年伊奈製陶(のちのINAX、現LIXIL)設立、同社常務取締役。1929年常滑町会議員。1935年西浦製陶(現ジャニス工業)設立、同社代表取締役。1939年伊奈製陶代表取締役社長[2]。
1951年4月、常滑町長に初当選[5]。1954年4月1日、常滑町は鬼崎町、西浦町、大野町、三和村と合併し常滑市が成立。同年4月に行われた市長選で当選し初代市長に就任。1955年3月5日に退任[6]。
1959年藍綬褒章受章。1961年紺綬褒章受章。1963年伊奈製陶代表取締役会長。1965年勲四等瑞宝章受章。1972年株式40万株を常滑市に寄付し常滑市名誉市民第1号に推挙される[2]。同年鮎川武雄、田所芳秋、山内俊吉、森本貫一らとともに日本セラミックス協会名誉会員の称号を受けた[7]。1976年伊奈製陶取締役相談役[2]。
1980年10月10日、死去[2]。90歳没。命日の10月10日は常滑市により「陶と灯の日」と定められた[8]。
親族
[編集]INAX第5代代表取締役社長を務めた中興の祖伊奈輝三は三男で[9]、その妻はトヨタグループ創設者豊田佐吉末弟豊田佐助の娘・節子[10]。伊奈啓一郎元LIXILグループ取締役は孫[11]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、248頁。
- ^ a b c d e 陶と灯の日 常滑市観光協会
- ^ 山登り禁止、大事に育つ 伊奈輝三(2) 朝日新聞、2013年9月11日
- ^ 卒業生紹介 東京高等学校
- ^ a b 『日本の歴代市長 第二巻』歴代知事編纂会、1984年11月10日、518頁。
- ^ 歴代市長 常滑市
- ^ 公益社団法人日本セラミックス協会 名誉会員 公益社団法人日本セラミックス協会
- ^ 愛知・常滑市の10月10日は「陶(とう)」と「灯(とう)」の日 るるぶ.com
- ^ 山登り禁止、大事に育つ 伊奈輝三(2) 朝日新聞デジタル、2013年9月11日
- ^ 「第二部 豊田家(7)」読売新聞、2001年7月2日
- ^ 秋場大輔『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』文藝春秋(2022/06)