佐渡国
佐渡国 | |
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■-佐渡国 ■-北陸道 | |
別称 | 佐州(さしゅう) 渡州(としゅう) |
所属 | 北陸道 |
相当領域 | 新潟県佐渡市(佐渡島) |
諸元 | |
国力 | 中国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 | 3郡22郷 |
国内主要施設 | |
佐渡国府 | (推定)新潟県佐渡市 |
佐渡国分寺 | 新潟県佐渡市(佐渡国分寺跡) |
佐渡国分尼寺 | (未詳) |
一宮 | 度津神社(新潟県佐渡市) |
佐渡国(さどのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。
概要
[編集]「佐渡」の名称
[編集]平城宮木簡には「佐度国」と表記されている。
歴史
[編集]佐渡市#歴史の項を参照
沿革
[編集]国が建てられた時期は不明。
もと雑太郡一郡のみの国であったが、養老5年(721年)に雑太郡、加茂郡、羽茂郡の三郡に分けられた。 後、明治29年(1896年)に佐渡郡一郡にまとめられた。
近代以降
[編集]- 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が佐渡奉行が管轄する幕府領。なお、羽茂郡のごく一部に寺社領が所在。(262村・132,687石余)
- 慶応4年
- 明治元年
- 明治2年
- 明治4年11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により相川県に改称。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により新潟県に合併。同日相川県廃止。
国内の施設
[編集]国府
[編集]国府は雑太郡にあった。国仲平野の南辺にあったと推測される。下国府遺跡が官人の住居と推定されているが、政庁はまだ見つかっていない。
国分寺・国分尼寺
[編集]奈良時代に作られた佐渡国分寺はいったん放棄された。 江戸時代の延宝7年(1679年)に賢教によって真言宗の寺として再建され、平安時代に造られた薬師如来像を今に伝える。 元の国分寺の遺跡は今の寺の至近にある。どちらも所在地は佐渡市国分寺である。
神社
[編集]- 羽茂郡 度津神社 (佐渡市飯岡)
- 羽茂郡 大目神社 (佐渡市吉岡)
- 雑太郡 引田部神社 (佐渡市金丸)
- 雑太郡 物部神社 (佐渡市小倉)
- 雑太郡 御食神社 (佐渡市宮川)
- 雑太郡 飯持神社 (佐渡市飯持)
- 雑太郡 越敷神社 (佐渡市猿八)
- 賀茂郡 大幡神社 (佐渡市大倉)
- 賀茂郡 阿都久志比古神社 (現 熱串彦神社、佐渡市長江)
城
[編集]地域
[編集]郡
[編集]人物
[編集]国司
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守護
[編集]鎌倉幕府
[編集]室町幕府
[編集]武家官位としての佐渡守
[編集]- 佐々木道誉
- 茨木重親
- 林秀貞
- 松井康之
- 須田頼隆
- 奥山盛昭
- 久松俊勝
- 本間高統
- 本多正信〈天正14年(1586年)~ 〉従五位下
- 藤堂高虎正五位下
- 牧野親成従五位下
- 青山吉次従五位下
- 松平康尚従五位下
- 大岡忠種従五位下
- 六郷政信従五位下
- 藤堂高通従五位下 伊勢久居藩の初代藩主。
- 藤堂高陳従五位下 伊勢久居藩の第3代藩主。
- 藤堂高雅従五位下 伊勢久居藩の第6代藩主。
- 森俊春従五位下
- 六郷政速従五位下
- 藤堂高衡従五位下 伊勢久居藩の第10代藩主。
- 藤堂高矗従五位下 伊勢久居藩の第11代藩主。
- 前田斉敬正四位下
- 木下俊良従五位下
- 上杉勝義従五位下
- 藤堂高邁従五位下 伊勢久居藩の第13代藩主。
- 藤堂高秭従五位下 伊勢久居藩の第14代藩主。
- 藤堂高聴従五位下 伊勢久居藩の第15代藩主。
- 藤堂高邦従五位下 伊勢久居藩の第16代藩主。
- 小笠原長泰従五位下
- 小笠原長和従五位下
- 小笠原長国従五位下
- 森長国従五位下
- 六郷政殷
名誉称号としての佐渡目(朝廷から芸術家・職人への受領)
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 15 新潟県
- 旧高旧領取調帳データベース