倉賀野町
くらがのまち 倉賀野町 | |
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廃止日 | 1963年3月31日 |
廃止理由 | 編入合併 倉賀野町 → 高崎市 |
現在の自治体 | 高崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 群馬県 |
郡 | 群馬郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 4.02 km2. |
総人口 | 7,812人 (1963年2月28日) |
隣接自治体 | 高崎市 |
倉賀野町役場 | |
所在地 | 群馬県群馬郡倉賀野町 |
座標 | 北緯36度17分53秒 東経139度02分59秒 / 北緯36.29792度 東経139.04967度座標: 北緯36度17分53秒 東経139度02分59秒 / 北緯36.29792度 東経139.04967度 |
ウィキプロジェクト |
倉賀野町(くらがのまち)は群馬県の中央部、群馬郡に属していた町。
地理
[編集]町の南部を烏川が流れる。
町の中心部は住宅地と商業地だが、周囲を工業団地に囲まれている。
歴史
[編集]- 江戸時代には中山道が通じ、この付近に倉賀野宿が置かれた。
- 1884年(明治17年)5月1日 日本鉄道 新町・高崎間が開通。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により西群馬郡倉賀野町が成立する。
- 1894年(明治27年)5月1日 日本鉄道 倉賀野駅が開業。
- 1896年(明治29年)4月1日 郡統合(西群馬郡と片岡郡の統合)により群馬郡に所属となる。
- 1931年(昭和6年)7月1日 八高北線(現:八高線) 倉賀野・児玉間が開業。
- 1963年(昭和38年)3月31日 高崎市へ編入する。
教育
[編集]倉賀野は明治初期まで、東京・信越を結ぶ水運の舟場(河川港)として栄えたため、鉄道の敷設とともに町が寂れても、町民はなかなか農業になじめなかった。そのため青年層の技術習得が叫ばれ、1919年(大正8年)に、町内に実業補習学校が作られた[1]。
観光
[編集]町内に浅間山古墳 (高崎市倉賀野町)、大鶴巻古墳、小鶴巻古墳があり[2]、町の中央を東国文化歴史街道が横断している。
出身有名人
[編集]脚注
[編集]- ^ (帝国農業教育研究会, 1925)
- ^ 浅間山古墳、大鶴巻古墳『群馬県下国宝並指定史蹟名勝天然紀念物』(群馬県, 1937)
参考文献
[編集]- 倉賀野町 『群馬県営業便覧 : 附・繁昌記』(全国営業便覧発行所, 1904)
- 「一部同胞に就て 群馬郡倉賀野尋常小學校 吉池彰治」 『通俗教育講話集』(群馬県教育会, 1923)