利用者:P150315
P150315 | |
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生誕 | 非公表 1999年7月26日(25歳) 日本・熊本県八代市 |
現況 | 2024年10月現在、活動中。 |
住居 | 熊本市南区 |
国籍 | 日本 |
民族 | 熊襲の末裔とも思われる。 |
市民権 | 日本 |
教育 | 熊本学園大学在学中(2022年 - ) |
活動期間 | 2017年頃 - |
時代 | 平成時代及び2000年代 - |
影響を受けたもの | 星新一、士郎正宗、西岸良平、小沢昭一、安永航一郎、塚原まきこほか多数 |
影響を与えたもの | 本多桃 ? |
活動拠点 | 熊本市 |
身長 | 169 cm (5 ft 7 in) |
体重 | 113 kg (249 lb)(2023年2月22日時点) |
配偶者 | 無(未婚) |
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P150315(1999年7月26日 - )は、日本のウィキペディアン。熊本県八代市生まれ、熊本市南区城南町出身。
摘要
[編集]- 熊本・九州、そして沖縄(但し、戦後史&いかがわしくない方の風俗専門)を中心にやってます。「世を忍ぶ仮の姿」は晒していますので、正体はわかる人には分かると思われます。
- 拙PCのプラウザが原因のパスワード不調の際に取った150315-2のアカウントも持っておりますが、休眠状態になりました。
- 大した項は作っていないと思います。
尚、この項は現在大掛かりな改修工事中です。
略歴
[編集]前史
[編集]- 1996年6月1日 両親が入籍、数日後結婚式を挙げる。
- 1998年12月1日 母方の祖父(当時84歳)が交通事故に遭遇。八代市の信号交差点でトラックに撥ねられ重傷を負う。
- 1999年4月頃 父親が通勤中に軽微な交通事故を起こし、愛車の82年型クオーレMGXを小破させた為、年式もあって廃車にした後中古(ディーラー営業車)のスバル・プレオに乗り換える。
生誕後
[編集]- 1999年7月26日 熊本県八代市に生まれる。高齢出産であった。
- 2000年7月26日 先述の理由から熊本県下益城郡城南町ヘ一家3人で移住。ここが現在の実家である。先述の祖父(要介護3)との一家4人での生活となる。この頃父親はファミリーカーとしてフォード・スペクトロン(XL-T2000ディーゼル)を購入、父親曰く車椅子とおまるを載せ祖父を含む4人で出かけることもあったという。
- 2002年春頃 父親が熊本市の会社を退職し独立(のち廃業)、パソコン修理店を開く。この頃スペクトロンが故障で廃車となり、営業車兼用の形で1995年式マツダ・ボンゴ(ワゴンGSX)を購入。この頃、祖父は痴呆症(2022年現在は『認知症』と基本的に表現される)を併発し要介護5の認定を受ける。
- 秋頃 最初の保育園に入園。
- 2003年5月頃 転園の形で神道系の保育園に入園。
- 2005年5月25日 祖父が91歳で死去。
- 2006年 小学校入学。未だに「小学校は外れだったのでは?」と自問自答し、やり方こそ嫌いだが「ゆたぼん、そしてまた違った意見を示す兼近大樹、そして『尾木ママ』こと尾木直樹の方がよっぽど社会の中枢につく者よりまともな思考ではないか?」と思うことがある。
- 2012年
人物・嗜好・挿話
[編集]- 異性愛者で『ルックスの劣化した諸星あたる』とも言える(2022年版のあたるはクズでなくなり且つイケメン)。女性に弱く、惚れやすい(その上に岡惚れも多い)ためか、高校時代の悪友からは「生まれつきの女たらし」という有り難くない異名を授かったこともある。「チョンボ」が多いので(実害はほぼないかとは思われる)、タニマチが減りつつあるのが目下の悩み。
- 尚、同性婚は即時解禁すべきという立場である。
- 近視の為、普段はワイドなメタルフレームの眼鏡を着用していることが殆どである。
- 幼少期の「はたらくくるま」への憧れから20代になってからも主に消防車・バス・ラジオカーを好んでおり、22歳の時には大型自動車第一種運転免許を取得している。因みに沖縄に行くたびに東陽バスの906号車(ナナサンマル車)を追いかけているが、最近の日野車は苦手(馬力がない為)。
- 好物はルートビアとミニストップのソフトクリームで、それぞれそれだけのために那覇市や柳川市を訪れたことがある。
- 上述の「タニマチ」表記がものがたるように相撲好きだが、目下知り合いの番付が上がらないのが気になっている。尚、NHKの大相撲中継で好んでいるアナウンサーは、以前ならば藤井康生(2022年引退後ABEMA大相撲の実況へ)、現役だと吉田賢及び太田雅英という熊本に縁の深いアナウンサー2人である。
- またスポーツ中継における絶叫実況は邪魔になるので嫌いだが、NHKの大坂敏久については別格で、案外聴きやすい実況であると考えている。
- 公共交通機関が脆弱で自家用車が必須の地域に在住していることもあり、ダイハツ・ムーヴ(ごく初期ロットのLA150S→無償譲渡されたL150S初期型→LA150S)を保有し愛用している。因みにこれ以前にはスズキ・ワゴンRを2台乗り継いでいる為、隠れ鈴菌保持者ともいえるが、最も好きなエンジンは三菱のサイクロン及びスバルのEN07。
- 先述の通り生誕時からスバル・プレオ[1]に親しみ、末期には自らハンドルを握っていた為、無段変速機(CVT)独特の取り扱いには他ドライバーよりも長けていると思われるが、ラグが苦手であり、本来はマニュアルトランスミッション及び通常のオートマチックトランスミッションを搭載する車両を好んでいる。
- 先述の通り自身は大型自動車第一種運転免許を取得しているが、稀に運転するトヨタ・ハイエース(おもにスーパーロング)より大きな車両を運転する機会は皆無に等しく、上級免許に限って言えばペーパードライバーとも言える。
余談
[編集]- 2022年、「世を忍ぶ仮の姿」で現れた筈の地元放送局主催のイベントでの一幕。様々な成り行きから会場内でさるシーズンのある番組を担当し、当時は全国的人気番組ながら好き嫌いがかなり分かれる癖の強いワイド番組等を担当しているラジオ制作部の若手ディレクターと親しげに談笑するミニとボストンメガネを愛用する当時の専属女性リポーター(知り合い)に声をかけた所、若手ディレクターが「是非とも会いたかった」と言った上に「ある関係者が『自身の項が未だ立ち上がらない』と嘆いていた事がある」という話題になり、更には「さるシーズンのある番組」に出演していた背が高く眼鏡を常用する方及び中背でコンタクトレンズを常用する方、同期入社双方の若手男性アナウンサーと話す機会があったのだが、その放送局の制作部局の若手スタッフの間では当アカウントのことが結構知られているようである。エゴサーチが当り前になった世代の者[2]ならではの事象といえるだろう。確かに彼等の項をかなり製作させて頂いた覚えがある。少なくとも存じて頂いているのは有り難いことではあるが。尚、2024年に2年ぶりに同じイベントに出向いた際には、上記の項のなかった関係者に改めてツッコまれたのだった。
脚注・出典
[編集]- ^ 1998年式で、発売と同時期の同年10月初度届出。富士重工業が「イグニッションキーシリンダーの不具合で、エンジンが始動しにくくなる現象が多発し国交省にリコールの届け出をした」 切っ掛けとなるトラブルを起こした個体のひとつでもある。
- ^ のちにradikoプレミアムをザッピングしていて驚いたことがある。沖縄のラテ局の番組だったか、ニュースリーダーのアナウンサーとパーソナリティのクロストーク枠でその局の現職者では珍しいウチナンチュの中堅女性アナウンサーがその日代理パーソナリティをつとめていたほんわか癒やし系アナウンサーを捲し立てていたのだが、その中で中堅アナがエゴサーチを好きだと言いつつ自らに対するアンチコメントを自虐しつつ癒し系のアナウンサーをフォローしていたのだが、なかなかそこまでは出来ないと思うのである。