北口晃
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名前 | ||||||
カタカナ | キタグチ アキラ[1] | |||||
ラテン文字 | KITAGUCHI Akira | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1935年3月8日(89歳)[1] | |||||
出身地 | 大阪府 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1950-1952 | 明星高校 | |||||
1953-1956 | 関西学院大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1957-1966 | 新三菱重工/三菱重工 | 4 | (0) | |||
通算 | 4 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1956-1959 | 日本 | 10 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
北口 晃(きたぐち あきら、1935年3月8日 - )は大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
経歴
[編集]関西学院大学ではサッカー部に所属し、在学中の1956年に開催されたメルボルンオリンピックのサッカー日本代表に選出された。11月17日にメルボルンで行われたメルボルン・ハコア(オーストラリア)とのテストマッチで代表デビューを飾った[2] が、五輪本戦 (11月27日) での出場機会は無かった。
大学卒業後の1957年より新三菱重工(1964年より三菱重工業へ名称変更)に入団。生駒友彦や井上健らと共に創設期の三菱重工を牽引し、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会準優勝などに貢献した。
日本代表としては上記のメルボルン五輪以外に、1958年アジア競技大会、1959年のローマオリンピック予選など国際Aマッチ10試合に出場して1得点を記録した。現役引退後も三菱グループ内でサッカーを続けた[3] が、1979年にアキレス腱を断裂して一時サッカーから遠ざかった[3]。2005年、神戸市須磨区の「櫻ミッションフットボールクラブ」の設立発起人となった[3]。
所属クラブ
[編集]- 1950-1952 明星高等学校
- 1953-1956 関西学院大学
- 1957-1966 新三菱重工/三菱重工
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | - | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1965 | 三菱 | JSL | 0 | - | - | ||||||
1966 | 0 | - | |||||||||
通算 | 日本 | JSL | 4 | 0 | - | ||||||
総通算 | 4 | 0 | - |
代表歴
[編集]出場大会
[編集]- 1956年 メルボルンオリンピック
- 1958年アジア競技大会
- ローマオリンピック予選
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 9試合 1得点(1958-1959)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1956 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1957 | 0 | 0 | 7 | 1 | 7 | 1 |
1958 | 3 | 1 | 2 | 1 | 5 | 2 |
1959 | 7 | 0 | 4 | 0 | 11 | 0 |
通算 | 10 | 1 | 15 | 2 | 25 | 3 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1958年05月26日 | 東京都 | 東京蹴球場 | フィリピン | ●0-1 | 川本泰三 | アジア大会 |
2. | 1958年12月25日 | 香港 | 香港 | ●2-5 | 竹腰重丸 | 国際親善試合 | |
3. | 1958年12月28日 | クアラルンプール | マラヤ | ●2-6 | 国際親善試合 | ||
4. | 1959年01月04日 | ペナン | マラヤ | ○3-1 | 国際親善試合 | ||
5. | 1959年01月10日 | シンガポール | シンガポール | ○4-3 | 国際親善試合 | ||
6. | 1959年01月11日 | シンガポール | シンガポール | ●2-3 | 国際親善試合 | ||
7. | 1959年08月31日 | クアラルンプール | 香港 | △1-1(延長) | ムルデカ大会 | ||
8. | 1959年09月03日 | クアラルンプール | シンガポール | ○4-1 | ムルデカ大会 | ||
9. | 1959年09月06日 | クアラルンプール | 韓国 | ●1-3 | ムルデカ大会 | ||
10. | 1959年12月13日 | 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ●0-2 | オリンピック予選 |
得点数
[編集]No. | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 大会 |
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1 | 1958年12月28日 | クアラルンプール | マラヤ | ●2-6 | 国際親善試合 |
出典
[編集]- ^ a b 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、535頁。
- ^ “国際親善試合 (1956.11.17, メルボルン)”. 日本サッカー協会. 2014年9月11日閲覧。
- ^ a b c シルバー人材ニュース (2007年9月号) , p3 (PDF) 、2014年9月11日閲覧
外部リンク
[編集]- 北口晃 - Olympedia
- 北口晃 - National-Football-Teams.com
- 北口晃 - WorldFootball.net
- 北口晃 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 日本代表歴代記録 - 日本サッカー協会