南部領 (武蔵国)
南部領(なんぶりょう)は、江戸時代の武蔵国内の地名で、現在のさいたま市東部から上尾市東部の、当時は37ヶ村にあたる。
地名の由来には諸説あり、慶長16年(1611年)盛岡藩第2代藩主南部利直は、徳川家康・秀忠父子より寵愛を受け、岩槻において5箇村を鷹狩場として拝領し、寛永13年(1636年)第3代藩主南部重直の時に召上げとなった。この南部氏の鷹狩場であったことが由来する説と、天正19年(1591年)「武蔵国足立郡南部之内」、「武蔵国岩槻領南部之内」(大和田村、中丸村の検地帳)とある記述があり、中世における岩槻領の南部との説がある。南浮(『新編武蔵風土記稿』[要ページ番号])とも書く。岩槻藩が内命により南部領の地名の由来を調査させたが、真相はわからなかった(岩槻御旧地探索秘記)。
参考文献
[編集]- 「武蔵国南部領成立の由来」(「経済論集通号27」高橋浄蔵著 大東文化大学経済学会 1977年)
- 「〈古文書を旅する〉97 工藤利悦 逸物の黄鷹献上、将軍様のご満悦少なからず」(盛岡タイムスwebnews、2006年1月13日)
- 「岩槻御旧地探索秘記」(新編埼玉県史 資料編10 近世1 p88)