嘉悦信之
嘉悦 信之(かえつ のぶゆき、1826年(文政9年12月)- 1901年(明治34年)10月1日[1][2])は、幕末の熊本藩家士[3]、明治期の農業指導者・政治家。衆議院議員、熊本県会議長。
経歴
[編集]肥後国下益城郡堅志田村(熊本県[1]下益城郡中山村[2]堅志田[4]、中央村、中央町を経て現美里町)で生まれた。近藤淡泉に師事し漢学を修め[3]、武芸に励んだ[1][2][3]。魚住源次兵衛、宮部鼎蔵、山田信道らと共に尊王攘夷派として国事に奔走した[3][4]。熊本藩の地方文武芸取締役となった[3]。西南戦争では、地元有志者と共に別働第3旅団に従い、探索などに従事した[3]。
熊本県会議員に選出され、同常置委員、同議長も務めた[1][2][3][4]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(熊本県第4区、中央交渉会)で当選し[3][5]、その後、議員倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した[1][2]。
また、蚕糸業発展に尽力し、東肥産馬改良会社の設立に参画した[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中彦次郎編『明治肖像録』帝国史会、1898年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 角田政治編『肥後人名辞書 全 複刻版』青潮社、1973年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。