多田寺
多田寺 | |
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多田寺本堂(市指定有形文化財) | |
所在地 | 福井県小浜市多田27-15-1 |
位置 | 北緯35度28分41.7秒 東経135度46分8.3秒 / 北緯35.478250度 東経135.768972度座標: 北緯35度28分41.7秒 東経135度46分8.3秒 / 北緯35.478250度 東経135.768972度 |
山号 | 石照山(せきしょうざん) |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | (伝)天平勝宝元年(749年) |
開基 | (伝)勝行 |
正式名 | 石照山多田寺 |
札所等 | 北陸三十三ヵ所観音霊場第4番 北陸白寿観音霊場第2番 若狭観音霊場第17番 |
文化財 | 薬師如来立像、十一面観音菩薩立像、菩薩立像(重要文化財)ほか |
法人番号 | 5210005008616 |
多田寺(ただじ)は、福井県小浜市多田にある高野山真言宗の寺院。山号は石照山。本尊は薬師如来。
2015年(平成27年)4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定される[1]。
歴史
[編集]天平勝宝元年(749年)に孝謙天皇の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられ、最盛期には子院12を数えた。本尊を納める厨子は寛永11年(1634年)に小浜藩主となった酒井忠勝により寄進されたものである。現在は文化4年(1807年)に再建された本堂が残る。
文化財
[編集]- 重要文化財
- 木造薬師如来立像・木造十一面観音菩薩立像・木造菩薩立像(3躯一括指定)[2]
- 多田寺の本尊で、平安時代初期の作。像高192.5cm。本体から台座蓮肉まで通してカヤの一木造、薬壺を持たない薬師如来である。下半身部分のY字状の衣文の処理は唐招提寺旧講堂薬師如来像、神護寺薬師如来像などの平安初期彫像に共通する様式である。
- 旧日本三大薬師の一つとして主に眼病祈願の参拝客が多い。
- 頭上に菩薩面を表した十一面観音像であるが、当寺では薬師如来の脇侍として日光菩薩と称されている[6]。奈良時代末期から平安時代初期の作。像高154cm。カヤの一木造。胸飾、瓔珞(ようらく)を本体と共木から彫出する点、両足部の衣文構成などに奈良時代の作風がうかがえる。
- 薬師如来の脇侍として月光(がっこう)菩薩と称されているが、本来の像名は不明。平安時代初期の作。像高144.2cm。カヤの一木造。
- 県指定有形文化財
- 木造阿弥陀如来坐像[8] 3躯
- 藤原時代の作。桧材割矧造、彫眼、漆箔。像高は各92.5cm、91.5cm、144.5cm。
- 木造四天王立像[9] 4躯
- 藤原時代の作。像高は持国天121.6cm、増長天119.5cm、広目天118.8cm、多聞天117.4cm
- 市指定文化財
- 本堂
- 1807年(文化4年)に再建。三間×三間の内陣前に三間×一間の礼堂を設ける[10]。
- その他
札所
[編集]- 北陸三十三ヵ所観音霊場第4番札所
- 北陸白寿観音霊場第2番札所
- 若狭観音霊場第18番札所
交通アクセス
[編集]近隣情報
[編集]脚注
[編集]- ^ “海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群”. 文化庁. 2020年9月19日閲覧。
- ^ 昭和42年6月15日文化財保護委員会告示第24号
- ^ 木造薬師如来立像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b c “福井の文化財「木造 薬師如来立像 十一面観音立像 菩薩立像」”. 福井県. 2016年9月19日閲覧。
- ^ 木造十一面観音立像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 寺内の立札には「日光十一面観音菩薩」とあるが、本来の像名ではない。
- ^ 木造菩薩立像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ “福井の文化財「木造 阿弥陀如来坐像」”. 福井県. 2016年9月19日閲覧。
- ^ “福井の文化財「木造 四天王立像」”. 福井県. 2016年9月19日閲覧。
- ^ 若狭小浜のデジタル文化財