多羅菩薩
多羅菩薩 | |
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蓮花を持つ多羅菩薩 (インドネシアジャワ島ボロブドゥール) | |
名 | 多羅菩薩 |
梵名 | ターラー |
別名 | 多羅仏母 救度仏母 白多羅菩薩 緑多羅菩薩 黄多羅菩薩 赤多羅菩薩 青多羅菩薩 |
多羅菩薩(たらぼさつ、梵名:tārā [ターラー])は、仏教で信仰される女性の尊格(チベット語名:སྒྲོལ་མ་ sgrol ma [ドルマ]、漢字名:多羅,多羅仏母、救度仏母)。手に青い蓮の花を持つ。種字は、チベット仏教ではターン(tāṃ ཏཱཾ་)[1]、日本仏教ではタン (taṃ तं)等 [2][注釈 1]。
三十三観音の一尊[3]で、多羅観音[4]あるいは多羅尊観音[3]とも。
概要
[編集]誕生(大乗仏教〜中期密教)
[編集]この菩薩は、観音菩薩が「自分がいくら修行しても、衆生は苦しみから逃れられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれた。右目の涙からは白ターラーが、左目の涙からは緑ターラーが生まれた。 彼女たちは「衆生の済度を助ける」と発願し、菩薩は悲しみを克服したという[5]。
誕生(後期密教)
[編集]過去仏である鼓声如来という仏に信仰を持つナツォク・オ(彩光、sna tshogs 'od)国の王女イェシェ・ダワ(慧月、ye shes zla ba)が、鼓声仏の弟子たちによって男身に変身するよう説得されるも、それを断り、女身のまま衆生に利益するという誓願を立てる。[6]これにより彼女は「度母」と呼ばれるようになった。数多の時を経て成果を得たとき、「十方の衆生の苦しみを除く」という新たな誓願を立てて、昼夜を問わず幾多の悪魔(māra)、人ならざるもの(amanuṣya)を調伏したため「救度速勇母」とも呼ばれるようになる[6]。また、あるオ・キ・ナンワ('od kyi snang ba)という名の堅固に戒律を守る一人の比丘が、十方の諸仏から灌頂を受けて観世音菩薩になった。蓮華を持った観世音菩薩の心際中からは、仏父と仏母の化身が現れた。その仏母の化身が多羅尊であり、この時から多羅菩薩は観世音菩薩との間に強い因縁を持つようになった。また彼女は様々な幻身を以って、さまざまな法相を示現し、無数の衆生を救い、すべての苦しみから逃れしめ、解脱を得させた。[7]
日本密教と多羅菩薩
[編集]日本密教では、胎蔵曼荼羅の蓮華部院(観音院)において、右列上から5番目の位置に「諸観音」のひとつ多羅菩薩として配置される[2][8]。
近年成立した観音霊場で、24番札所となり「多羅」の担当となった寺院では、「多羅尊観音」の異名で祀られることが多い。
チベット密教とターラー
[編集]西チベット王家が招聘したアティーシャの弟子ドムトゥンがなした一派をカダム派というが、アティーシャに倣い、釈迦如来・観音菩薩・不動明王・ターラー菩薩を「四本尊」とした[9]。
女性の仏は仏母 (ユム) と呼ばれるが、如来と同格であり、特に仏眼「地」・マーマキー「水」・白衣「火」・ターラー「風」の四仏母は曼荼羅に頻繁に登場する。ちなみに『秘密集会』の曼荼羅にあっては、四仏母は四隅に位置して四大を表すが、ターラーは「風」を象徴する[10]。
なお、ゲルク派では、息災・増益・敬愛の「柔和な3修法」(ジャムスム)の護摩法にはターラーを本尊とすることがある[11]。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所元代表のカルマ・ゲレク・ユトクは観音菩薩が化身した猿とターラー菩薩が化身した鬼女の間に生まれた子孫がチベット民族だという人類起源神話を紹介している[12]。
密教経典によるターラ―の成就法(儀軌)各種
[編集]真言
[編集]チベット音による真言
[編集]ཨོཾ་ཏཱ་རེ་ཏུཏྟཱ་རེ་ཏུ་རེ་སྭཱཧཱ། (oṃ tāre tuttāre ture svāhā)
漢訳仏典に見える真言
[編集]大日経普通真言蔵品第四[19]。
南麼三曼多勃駄喃。羯嚕奴温婆吠。多[口麗]。[口多]嚕抳莎訶。
南麼三曼多勃駄喃。躭。
南麼三曼多勃馱喃一哆囇哆[口履]抳二羯嚕拏嗢婆上二合吠平三莎訶四
大毘盧遮那成佛神變加持經蓮華胎藏悲生曼荼羅廣大成就儀軌供養方便會[20]。
曩莫三滿多沒馱喃一耽羯嚕呶嗢婆二合吠平二多隷多哩抳三娑嚩二合賀引
大毘盧遮那成佛神變加持經蓮華胎藏菩提幢標幟普通眞言藏廣大成就瑜伽[21]。
曩莫三曼多沒馱喃引耽種子羯嚕呶悲嗢婆上二合吠生謂悲者。而此菩薩從觀音眼中生由見法實性名爲普眼。見於如如之體多呼彼多哩抳是度義以初 多字爲體娑嚩二合
根本十字真言: 唵 多引 哩 咄入 多 哩 都 哩 莎引 訶引[22]
救度八難真言: 唵 多引 哩 咄 多 哩 都 哩 薩 哩嚩二合 琶 耶 那引 舍 儞 薩 哩嚩二合 覩入 枯入 多引 哩 禰 莎引 訶引[22]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同書では、この他に、ター(ता tā), タラ(त्र tra), タラン(त्रं traṃ)などのヴァリアントも提示。
出典
[編集]- ^ クンチョック・シタル et al. 1995, p. 114.
- ^ a b 種智院大学密教学会 1983, p. 448.
- ^ a b 「多羅菩薩」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 「多羅菩薩」 - 大辞林 第三版
- ^ ネパール手工芸協会 2009, pp. 72–73.
- ^ a b 索南卓瑪 2017, pp. 458–459.
- ^ 索南卓瑪 2017, p. 458.
- ^ 静 1997, p. 227.
- ^ 田中 1993, p. 37.
- ^ 田中 1993, pp. 150–151, 169–171.
- ^ 田中 1993, p. 22.
- ^ チベット文明の誕生 | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
- ^ 那須 2001, pp. 66–76.
- ^ チベット仏教普及協会 2008, p. 177.
- ^ 平岡 2016, p. 51.
- ^ 稲谷 1992a, p. 47.
- ^ 稲谷 1992a, p. 48.
- ^ 稲谷 1992b, p. 28.
- ^ 大正, vol.18, p.14中,16中,26下。
- ^ 大正, vol.18, p.115下。
- ^ 大正, vol.18, p.153下。
- ^ a b Siddham Association(悉曇学会)「聖救度佛母二十一種禮讚經」(Palo Alto, CA,USA)
参考文献
[編集]- 田中公明『チベット密教』春秋社、1993年。
- チベット文明の誕生 | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
- ネパール手工芸協会『アジアの仏像と宝具がわかる本』国際語学社、2009年10月。
- クンチョック・シタル; ソナム・ギャルツェン・ゴンタ; 斎藤保高『実践 チベット仏教』春秋社、1995年。ISBN 4-393-13272-6。
- 種智院大学密教学会『梵字大鑑』名著普及会、1983年5月。
- 静慈圓『遺稿・論文集(二) 大日経の研究 ─ 論文十六篇 ─』朱鷺書房、1997年11月。ISBN 4-88602-172-7。
- 栂尾祥瑞『遺稿・論文集(二) 大日経の研究 ─ 論文十六篇 ─』臨川書店、1984年4月。
- 河口慧海『蔵文和訳 大日経』西蔵経典出版所、1934年3月。
- 稲谷祐宣『真言密教事相類聚 解説部第二巻 諸尊真言句義鈔』大阪,青山社、1992年2月。
- 稲谷祐宣『真言密教事相類聚 解説部第一・下巻 胎蔵界句義私鈔』大阪,青山社、1992年11月。
- 那須政隆『「国訳秘密儀軌」第十七巻(諸観音部)』国書刊行会、2001年3月。
- 索南卓瑪「東アジア仏教における多羅信仰の展開」『東アジア文化交渉研究』第10巻、関西大学大学院東アジア文化研究科、2017年3月31日、455-473頁、ISSN 1882-7748、NAID 120006028781。
- 平岡宏一『ダライ・ラマ法王 チッタマニターラ尊灌頂』京都・SAMAYA21プロジェクト、2016年11月6日。[要文献特定詳細情報]
- チベット仏教普及協会<<ポタラ・カレッジ>>『チベット仏教常用経典集(ཆོས་སྤྱོད་ཞལ་འདོན་ཉེར་མཁོ་ཕྱོགས་བསྡུས།)』チベット仏教普及協会<<ポタラ・カレッジ>>、2008年10月。ISBN 978-4-903568-03-4。