大分県立病院

大分県立病院
情報
正式名称 大分県立病院
英語名称 Oita Prefectural Hospital
前身 大分県病院
標榜診療科 内科
呼吸器内科
循環器内科
消化器内科
血液内科
神経内科
内視鏡内科
外科
呼吸器外科
心臓血管外科
小児外科
整形外科
脳神経外科
形成外科
内視鏡外科
精神科
小児科
皮膚科
泌尿器科
産科
婦人科
眼科
耳鼻咽喉科
リハビリテーション科
放射線科
救急科
麻酔科
歯科口腔外科
許可病床数 618床
一般病床:566床
精神病床:36床
感染症病床:16床
機能評価 一般500床以上:Ver5.0
開設者 大分県
管理者 井上 敏郎(院長)
地方公営企業法 全部適用
開設年月日 1880年3月1日
所在地
870-8511
大分県大分市大字豊饒476番地
位置 北緯33度12分23.4秒 東経131度35分56.6秒 / 北緯33.206500度 東経131.599056度 / 33.206500; 131.599056
二次医療圏 中部
PJ 医療機関
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大分県立病院(おおいたけんりつびょういん)は、大分県大分市豊饒(ぶにょう)にある公立病院。大分県で唯一の県立病院である[注釈 1]。略称は県病(けんびょう)。

診療科

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歴史

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  • 1880年(明治13年)3月1日 - 大分県病院兼医学校として大分市高砂町に開設。
  • 1889年(明治22年) - 大分県病院廃院(無償治療による財政圧迫のため)。私立の大分病院として承継される。
  • 1899年(明治32年) - 大分県立病院として再発足(内科及び外科)。
  • 1902年(明治35年) - 産婦人科新設。
  • 1911年(明治44年) - 眼科新設。
  • 1915年(大正 4年) - 耳鼻咽喉科新設。
  • 1924年(大正13年) - 皮ばい科新設。
  • 1926年(大正15年) - 小児科新設。
  • 1927年(昭和2年) - 皮ばい科を皮膚科、泌尿器科に再編。
  • 1945年(昭和20年)7月17日 - 大分空襲により焼失(当時の病床数189床)。
  • 1955年(昭和30年) - 整形外科新設。
  • 1958年(昭和33年) - 放射線科新設。
  • 1959年(昭和34年) - 成人病治療センター、神経科新設。
  • 1960年(昭和35年) - 病理検査科新設。
  • 1964年(昭和39年) - 第二内科新設。
  • 1967年(昭和42年) - 歯科、理学診療科新設。
  • 1969年(昭和44年) - がん診療部、脳神経外科、麻酔科新設。
  • 1970年(昭和45年) - 生化学検査部新設。
  • 1972年(昭和47年) - がん診療部をがんセンターに改称。病理検査科、生化学検査科を統合して中央検査部に改組。健康管理部新設。
  • 1976年(昭和51年) - 第四内科新設。
  • 1981年(昭和56年) - 精神神経科病棟開設。
  • 1984年(昭和59年) - 新生児医療室新設。
  • 1989年(平成元年) - MRI棟の新設
  • 1992年(平成4年)8月18日 - 現在地に新築・移転(一般病床610床、伝染病床20床)。新生児科、心臓血管外科、小児外科新設。跡地には1998年(平成10年)にOASISひろば21が完成している。
  • 2005年(平成17年) - 総合周産期母子医療センター開設。
  • 2006年(平成18年) - ICU部、手術部設置。
  • 2007年(平成19年) - 救急部設置。
  • 2008年(平成20年) - 大分県地域がん診療連携拠点病院に指定。DPC対象病院。救命救急センター開設。
  • 2009年(平成21年) - 形成外科新設。地域医療支援病院指定。
  • 2010年(平成22年) - ドクターカーを導入。地域医療部設置。7対1看護体制の導入。
  • 2011年(平成23年) - 病院総合情報システム(電子カルテ)の導入。感染症病床16床を12床へ変更。
  • 2014年(平成26年) - 第一種感染症指定医療機関指定。
  • 2020年(令和2年) - 精神医療センター開設。

医療機関の指定等

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脚注

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注釈

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  1. ^ 2010年9月30日までは他に大分県立三重病院があったが、同年10月1日に公立おがた総合病院と統合され、豊後大野市が運営する豊後大野市民病院三重診療所となったため、当院が唯一の県立病院となった。

出典

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外部リンク

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