大石ヨシエ
大石ヨシエ おおいし ヨシエ | |
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生年月日 | 1897年2月12日 |
出生地 | 日本 京都府 |
没年月日 | 1971年6月7日(74歳没) |
死没地 | 日本 愛知県 |
出身校 | 信愛高等女学校卒業 |
前職 | 新聞社顧問 |
所属政党 | (国民同志会→) (無所属→) (日本社会党→) (社会革新党→) (社会民主党→) (右派社会党→) 無所属 |
称号 | 従四位 勲三等宝冠章 |
選挙区 | (京都府全府選挙区→) 旧京都2区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1946年4月10日 - 1955年1月24日 |
大石 ヨシエ(おおいし ヨシエ、1897年〈明治30年〉2月12日[1] – 1971年〈昭和46年〉6月7日[1][2][3])は、日本の政治家、衆議院議員(5期)。
来歴
[編集]京都府出身[1][2]。1915年(大正4年)、私立信愛高等女学校(現大阪信愛学院高等学校)卒[1][2]。卒業後故郷の舞鶴市で参政権獲得など婦人運動に加わる[1]。のち国民同志会に入り、1931年(昭和6年)から2年間渡米する[1]。帰国後に満洲国へ渡り、新聞社の顧問などをしたが、間もなく日本に戻った[1]。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙では京都府から無所属で立候補し当選した[1][2]。当選後は日本社会党に入り、社会革新党を経て右派社会党で活動した[1]。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙で落選[4]。その後、1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙にも旧京都2区から無所属で立候補したが、落選した[5]。落選後は埼玉県深谷市に移り、晩年は愛知県西春日井郡師勝町(現在の北名古屋市)の親類宅に引き取られた[6]。1971年に愛知県で死去した[3]。死没日をもって勲三等宝冠章追贈、従四位に叙される[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394