奄美 (海防艦)

奄美
横浜沖で公試中の奄美(推定)[注釈 1]
横浜沖で公試中の奄美(推定)[注釈 1]
基本情報
建造所 日本鋼管鶴見造船所
運用者  大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
艦種 海防艦/特別輸送艦(日本海軍)
特別輸送艦(第二復員省/復員庁)
級名 占守型海防艦(1944年4月)
鵜来型海防艦(1944年6月)
建造費 5,112,000円(予算成立時の価格)[注釈 2]
艦歴
計画 マル急計画
起工 1944年2月14日[1][2]
進水 1944年11月13日[1][2]
竣工 1945年4月8日
最期 1947年12月20日解体終了
1982年以降船体廃棄
除籍 1945年10月5日(日本海軍)
1947年9月10日(復員庁)
要目(竣工時)
基準排水量 940トン
全長 78.77m
最大幅 9.10m
吃水 3.06m
主機 艦本式22号10型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.5ノット
燃料 重油 120トン
航続距離 16ノットで5,000カイリ
乗員 定員149名[注釈 3]
兵装 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 3連装5基、単装1基
三式迫撃砲 単装1基
九四式爆雷投射機2基
三式爆雷投射機16基
爆雷120個
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基[注釈 4]
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奄美(あまみ)は、日本海軍海防艦鵜来型海防艦の3番艦。1945年4月に竣工し、太平洋戦争を生き延びて復員輸送に従事した後、1947年に賠償艦としてイギリスに引き渡されたが、売却解体された。艦名は、鹿児島県奄美大島にちなむ。

建造までの経緯

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マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の27番艦[注釈 5]、仮称艦名第336号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型(基本計画番号E20)の基本計画の決定により第322号艦型に計画変更[注釈 6]。1943年7月5日、海防艦改乙型(基本計画番号E20b)の設計が完了したため、第310号艦型と第320号艦型の未起工艦のうち本艦を含む8隻は、基本計画番号E20bに従って建造されることになった。また、未起工艦8隻のうち日立造船に建造が割り当てられた3隻は、用兵側から要望のあった掃海具を装備し日振型として建造されることになる。

艦歴

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1944年(昭和19年)2月14日[1][2]、日本鋼管株式会社鶴見造船所で起工。4月5日、奄美と命名され、占守型に分類されて同級の21番艦に定められ[注釈 7]、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。6月5日、艦艇類別等級の改正で海防艦の項中に鵜来型が新設され、同級の3番艦に定められる。11月13日[1][2]、進水。

1945年(昭和20年)3月になると日本本土空襲も激しくなり、鶴見造船所も攻撃される[3]。艤装工事中にF6Fヘルキャット戦闘機に襲撃され、25mm機銃で応戦したこともあった[3]4月8日、奄美は竣工[3]。本籍:舞鶴鎮守府、役務:舞鶴鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入された後、函館経由で日本海へ移動し、訓練に従事した[4]。5月14日、舞鶴鎮守府部隊に編入。舞鶴港で整備をおこなう[4]。27日、第一護衛艦隊第三十一海防隊に編入。以後、北海道方面で護衛に従事。7月7日、奄美と機雷敷設艦(装甲巡洋艦)常磐は大湊を出撃する[5]。奄美は常磐の宗谷海峡機雷敷設任務を護衛した[5]。7月23日、奄美は大湊に帰投した[5]

8月6日、ヤコフ・マリクソ連大使および家族は秋田県の土崎港でソ連汽船エリーコマ号に乗船し、日本本渡を離れる[6]。奄美はソ連汽船の土崎港入港および出港を誘導および護衛した[6]。 8月14日、触雷して航行不能となっていた姉妹艦伊唐を富山の日本海ドックまで曳航するよう命じられる[7]。同作業準備中の8月15日、七尾湾(石川県能登半島)で終戦を迎えた[7][8]。舞鶴に移動後、乗組員の大部分は復員した[8]。8月25日、舞鶴鎮守府第一予備海防艦に定められる。10月2日、舞鶴を出港[9]。10月5日、帝国海防艦籍から除かれる。12日、帝国艦船特別輸送艦と呼称される。トラック泊地やマーシャル諸島からの復員輸送に従事した[9][10]。12月1日、舞鶴地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。

1946年(昭和21年)7月26日、特別保管艦に指定される。

1947年(昭和20年)9月10日、特別輸送艦の定めを解かれる。同日、賠償艦としてイギリスに引き渡されたが売却され、9月12日から12月20日にかけて三菱重工業広島造船所で船体以外を解体された。船体は同造船所の浮桟橋として使用され、1982年以降に廃棄された。なお、奄美の残務整理は1947年10月25日に終了した[11]

艦長

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艤装員長
  1. 北彌三郎 少佐:1944年11月1日 - 1945年4月8日
海防艦長/艦長
  1. 北彌三郎 少佐/中佐:海防艦長 1945年4月8日 - 1945年10月31日、以後11月29日まで海防艦長の発令無し。
  2. 田中常治 少佐/第二復員官:1945年11月29日 - 艦長 1945年12月20日 - 1946年3月1日
  3. 森永正彦 第二復員官:1946年3月1日 - 退任年月日不明[注釈 8]
  4. 名越有幸 復員事務官:就任年月日不明[注釈 8] - 1946年11月14日
  5. 永井博 復員事務官:1946年11月14日 - 1947年9月10日[注釈 9]

注釈

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  1. ^ 海人社『日本海軍護衛艦艇史』の説明では、高角砲の防楯の形状から「若干疑問がある」ため、艦名を「(推定)」としている。
  2. ^ これは第310号艦型の価格であり、基本計画番号E20bとしての価格ではない。
  3. ^ この数字は特修兵を含まない。
  4. ^ 1番艦鵜来が竣工時に仮称三式水中探信儀を装備していたため、本艦もそれを装備していたと思われるが、それを立証する文献がないため計画時のまま表記する。
  5. ^ マル急計画の当初計画での番数。
  6. ^ のち、基本計画番号E20は建造予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした。
  7. ^ この日時点で択捉型海防艦のうち除籍となった艦が2隻あるため、それら除籍艦を含めると通算で23番艦。
  8. ^ a b 現在公開中の第二復員省辞令公報および復員庁第二復員局辞令公報では、森永第二復員官の退任発令と名越復員事務官の就任発令は確認できない。
  9. ^ 昭和21年7月1日付 復二第67号の定めによる自動解職。

脚注

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  1. ^ a b c d 『昭和造船史 第1巻』、p. 828。
  2. ^ a b c d 『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇、p. 22。
  3. ^ a b c 両舷直の航跡119-120頁『鶴見造船所』
  4. ^ a b 両舷直の航跡127-128頁『対潜訓練部隊』
  5. ^ a b c 両舷直の航跡128-129頁『宗谷海峡封鎖』
  6. ^ a b 両舷直の航跡130-131頁『入道崎の友情』
  7. ^ a b 両舷直の航跡132-134頁『能都島の数日』
  8. ^ a b 両舷直の航跡134-135頁『別れ』
  9. ^ a b 両舷直の航跡135-136頁『復員船』
  10. ^ 両舷直の航跡136-137頁『艦長と先任下士官』
  11. ^ 昭和22年12月4日付 第二復員局公報 第160号。

参考文献

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  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 山本佐次郎 編「第十章 海防艦」『両舷直の航跡』成山堂書店、1994年1月。ISBN 4-425-94471-2  著者は奄美竣工から終戦まで掌砲長。
  • 海軍省
    • 昭和18年10月30日付 内令第2241号。
    • 昭和19年4月5日付 達第106号、内令第531号、内令第533号、内令員第545号。
    • 昭和19年6月5日付 内令第738号。
    • 昭和19年6月23日付 内令員第1082号。
    • 昭和20年4月8日付 内令第302号、内令員第701号、内令員第702号。
    • 昭和20年5月27日付 内令第474号。
    • 昭和20年8月25日付 内令第747号。
    • 昭和20年10月1日付 軍務一第180号。
    • 昭和20年10月12日付 軍務一第192号。
    • 昭和19年11月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1636号。
    • 昭和20年4月23日付 秘海軍辞令公報 甲 第1780号。
    • 昭和20年11月17日付 海軍辞令公報 甲 第1985号。
  • 第二復員省
    • 昭和20年12月1日付 内令第6号。
    • 昭和20年12月20日付 内令第12号、官房人第19号。
    • 昭和20年12月12日付 第二復員省辞令公報 甲 第10号。
    • 昭和21年3月27日付 第二復員省辞令公報 甲 第93号。
  • 復員庁
    • 昭和21年7月1日付 復二第67号。
    • 昭和21年9月5日付 復二第230号別表。
    • 昭和22年9月10日付 復二第651号。
    • 昭和21年11月25日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第95号。
    • 昭和22年12月4日付 第二復員局公報 第160号。

関連項目

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