蔚美 (海防艦)

蔚美
解体中の蔚美 (1947年または1948年、浦賀船渠)
解体中の蔚美
(1947年または1948年、浦賀船渠)
基本情報
建造所 浦賀船渠
運用者  大日本帝国海軍
復員庁
艦種 海防艦
行動不能艦艇(復員庁)
級名 鵜来型海防艦
建造費 6,200,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 改⑤計画
起工 1945年2月24日
進水 1945年5月26日
最期 1945年8月17日 工程90%で工事中止
戦後横転沈没、1948年頃解体
要目(計画時)
基準排水量 940トン
全長 78.77m
最大幅 9.10m
吃水 3.06m
主機 艦本式22号10型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.5ノット
燃料 重油 120トン
航続距離 16ノットで5,000カイリ
乗員 定員149名
兵装 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 3連装2基
九四式爆雷投射機2基
三式爆雷投射機16基
爆雷120個
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
三式水中探信儀2基
テンプレートを表示

蔚美(うるみ)は、日本海軍の未成海防艦。法令上は鵜来型海防艦の12番艦[注釈 1]

起工までの経緯

[編集]

改⑤計画の海防艦、第5251号艦型の11番艦[注釈 2]、仮称艦名第5261号艦として計画。未起工艦のうち日立造船に建造が割り当てられていた艦は通称「日振型」として建造されることになるが、マル急計画艦と異なり掃海具を装備せずに九四式爆雷投射機と三型爆雷装填台を1基ずつ増備する変更がされた。

艦歴

[編集]

1945年昭和20年)2月24日、浦賀船渠株式会社で建造番号577番船として起工。3月5日、蔚美と命名されて鵜来型海防艦の12番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。5月19日、艤装員事務所を横須賀市谷戸の浦賀船渠株式会社浦賀造船所内に設置し事務開始[1]。5月26日、進水。7月4日、艤装員事務所を横須賀市浦賀町芝生に移転。

終戦時未成。8月17日、工程90%で工事中止。その後特別輸送艦として工事続行の許可を得たが、復員輸送の進展により中止となった。1947年(昭和22年)2月1日時点で、浦賀造船所岸壁で横転沈没状態にあり、横須賀地方復員局所管の行動不能艦艇(特)に定められる。1948年(昭和23年)頃、浦賀船渠で解体。

艦長

[編集]
艤装員長
  1. 福地好 少佐:1945年6月1日 - 1945年8月20日
艦長
  1. (兼)倉橋友二郎 第二復員官:1945年12月20日 - 1946年2月15日 (本職:横須賀地方復員局艦船運航部部員)

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ 艦艇類別等級別表上の番数。
  2. ^ 改⑤計画上の番数。
脚注
  1. ^ 昭和20年5月31日付 秘海軍公報 第5027号。

参考文献

[編集]
  • 海軍省第二復員省復員庁
    • 法令、令達
      • 昭和18年10月30日付 内令第2241号。
      • 昭和20年3月5日付 達第46号、内令第197号、内令第205号、内令員第454号。
    • 人事発令
      • 昭和20年6月16日付 秘海軍辞令公報 甲 第1829号。
      • 昭和20年9月3日付 海軍辞令公報 甲 第1903号。
      • 昭和21年1月24日付 第二復員省辞令公報 甲 第42号。
      • 昭和21年3月13日付 第二復員省辞令公報 甲 第82号。
    • 通牒、その他
      • 昭和20年5月31日付 秘海軍公報 第5027号。
      • 昭和20年7月17日付 秘海軍公報 第5071号。
      • 昭和22年2月1日付 二復総第49号『行動不能艦艇保管實施要領ノ件通牒』。
      • 昭和22年2月19日付 横管修第753号 『行動不能艦艇保管維持費の件請求』。
  • 『浦賀・追浜百年の航跡 1897-1997』、住友重機械工業株式会社横須賀造船所、1997年。
  • 世界の艦船』 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。